藤本愼一様

チューニングカーブームを巻き起こした月刊「カーボーイ」

 八重洲出版様の創立60周年、おめでとうございます。
と、まことに紋切り型のご挨拶から入らせていただいたのには、少しばかりのワケがあります。私、藤本は、八重洲出版発行のカーボーイという雑誌に関わらせていただいたのは、23歳のときでしたが、出生は昭和32年でございます。おっと、奇しくも、先代酒井文人社長が、いまの八重洲出版を創立されたのと同年であります。それから23年後にカーボーイで仕事を始めることになったのですが、御存知のかたは御存知の通り、カーボーイという雑誌は、まことに奇妙な雑誌でした。

 それまで存在したクルマ雑誌というジャンルには、まったくあてはまらない型破りといえば型破り、怖いもの知らずといえば、そのとおりっ!というほどに、新車を扱うわけでも、中古車でも、クラシックカーでもなく、まだ世に知られていなかったジャンルを、爪楊枝の先っぽでほじくり返しながら、「チューニング」というジャンルを世に問いました。そして、その過程で、全国公募方式のイベントを数え切れないほどに開催することになってゆきました。創刊当時から応援し続けたドラッグレース、サーキットを舞台にしたタイムトライアル競技、そして、それまで見たことも聞いたこともないドリフトという走法を、ど真ん中に据えてしまった「ドリコンGP」などがそれです。なかでも、ドリコンGPという奇妙奇天烈なイベントは、ひとつの雑誌が開催する読者イベントの領域を遥かに超えて、いまではアメリカやヨーロッパのみならず、アジア圏から中近東、オセアニア圏にまで、その開催範囲が拡がっている始末です。

 それまで見たことも聞いたこともない雑誌を作り出そうと、1980年初頭に創刊したカーボーイは、1990年代の大半を、読者参加型のイベントを開催しつつ、誌面では、新しい自動車文化の啓蒙活動を、必死(いえ、本音で言えば、楽しみながら)継続していったわけですが、最近になって気がついたことがあります。

 カーボーイのイベント関連は、ほとんどと言っていいほど私が発案し、募集し、実行してきたわけですが、ふとした拍子に、先代社長であられた酒井文人さんの業績をまとめた冊子を読む機会がありました。

 そして、その膨大な資料を読み解くうちに、驚くべき相似形に気がついてしまったのです。

 先代酒井社長は、浅間時代からレース運営にかかわりはじめ、日本のレース創世記に、様々なカテゴリーのレースを開催しつつ、現代のレース業界の礎ともいうべき活動を継続されていました。藤本は、カーボーイ時代に、先代社長と同じ階で、数多くの時間を過ごしていたにも関わらず、そういった事蹟には、まったくといっていいほど無関心でしたし、「昔の話でしょ」と、他人事のように思っていました。

 ですが、自身が雑誌を主体とした様々なイベントを開催し続けたなかで、思い描いていたことがありました。たかが雑誌のイベントではありますが、「それをキッカケとして、世界のレース基準と勝負をしたい!」ということでした。ドラッグレースを続けたのは、アメリカの本家団体であるNHRAと、日本人の創意工夫の国民性で、勝負をしたいと思ったことが根底にありましたし、ドリコンを始めたときに考えたことは、世界のレベルというのは、究極のグリップ走行を超えた領域にあるなら、最初からクルマをドリフト状態にして、そのスピード領域を上げ続けていくことで、最終的にはF1のスターティンググリッドの先頭に、日本人の若いドライバーを据えてみたい……ということでした。口先番長のカーボーイという雑誌を、最大限に使って、自分自身の理想を追求したい。言葉にしてみれば、そういうことになるんでしょうか。

 しかしながら、です。自分が産まれた昭和32年に、同じように考え、実際に行動に移していた雑誌屋がいたわけです。そのときの「衝撃!」というのは、なかなかわかっていただけないかもしれませんが、相当のものがありました。そして、その存在が、自分が悪戦苦闘していた編集室のすぐ隣に存在していた八重洲出版社長室に、どっかりと座り込むことなく、「最近、ど~だ?」と、気安く声をかける先代酒井社長だったとは……。

 仏教用語に、『刹那』という言葉があります。指をひとはじきする(弾指)間に65刹那あるということで、これを単純計算した時間に換算してみますと、私達がよく使う『瞬間』が、約3分の1秒という時間であるのに対して、『刹那』は約100分の1秒となります。乱暴な言い方を許してもらうならば、非常に短い時間です。

 そして、いま、私が原稿を書いているコンピュータのクロック数は2.5GHzです。つまり、『刹那』同様に、時間単位に換算すれば、25億分の1秒ということになります。両者の時間単位を比較するならば、とんでもない差があることになりますが……両者の間に、時間単位の差はないともいえるのではないでしょうか?

 八重洲出版創立60周年という時間軸のなかで、雑誌屋に収まりきれないふたつのベクトルが、四半世紀ほどの時間差で交差したということに、なにやら運命的なものを感じつつ、これからの八重洲出版様の更なるご発展に期待をさせていただきますっ!

◎月刊「カーボーイ」とは
1980〜90年代に日本のクルマ業界で爆発的なチューニングカーブームを巻き起こしたと言っても過言でないのが月刊「CARBOY(以下カーボーイと略)」だ。1980(昭和55)年3月15日に弊社が創刊した同誌は、「名物創刊屋」と言われた橋本茂春編集長の手で「メカは男たちのロマン、少年時代の郷愁」をキャッチに生み出され、その後、池田光雄、堀暢宏ら名編集長の手で多くの熱烈な読者を惹き付け、斬新で楽しいクルマ生活の数々を提案し続けて1990年代のクルマ専門誌業界に君臨した。