石井昭博様

思い出深いシルバー200
楽しさと過酷さが入り混じる延々と続く砂漠を駆けたあの日。

 私が八重洲出版の在社時代にもっとも印象深かったのは、日本で初めてアマチュアモータースポーツ団体MCFAJを創立した業績に今も燦然輝く酒井文人前社長(故人)が、現役時代最後に主催したレースで、日本初のエンデューロレース大会となった「シルバー200」だ。

 1972(昭和47)年7月30日、茨城県の太平洋岸にあった広大な砂漠のような在日米軍の水戸射爆場の敷地(現・国営ひたち海浜公園)に、一周12㎞の特設コースを設定。在日米軍バイククラブの全面的な協力を得て、我々モーターサイクリスト編集部員も主催者となり社員総出で出場する側とサポートする側に分かれ、真夏の炎天下、6時間に及ぶ大イベントを支え続けた。何せ午前10時に長大なスタートラインに並んだ選手は最新モトクロッサーからトレール車、ロードバイクのナナハンまで雑多なバイクに跨がる前代未聞の609名! とにもかくにもダイナミックなエンデューロレースだった。

 当時27歳の編集記者だった私は出場する側に回り、市販モトクロッサーのヤマハDT250MXを駆って悪戦苦闘。結果は総合66位、クラス28位。何せ6時間後にゴールラインへ辿り着いたのは80名だからまあまあのところ。こんな過酷で、それでいてこんなに楽しいレースは、まさに日本初だった。コースの一部となった真夏の太平洋の海岸線と砂地には出場した重量車やトレール車が埋まったまま……。まさに死の灼熱地獄ドピーカンレースだった。あの美人ライダー堀ひろ子(故人)がデビューしたのもこのレースだったな。

 それから7年後、かのパリダカ(パリ・ダカールラリー)が始まったが、そのさまを初めて写真で見たとき、これはシルバー200じゃないのか?!! と僕は錯覚したほどだった。

 最後になるが、1950年代からこうした本邦初のモータースポーツ競技を開催し続けた貴社と酒井文人氏の業績加え、酒井社長と一緒にツーリングに行った際の楽しき思い出ともども、八重洲出版OBのひとりとして今でも誇りに思い、併せて貴社創業60周年を心から祝おいしたい。おめでとうございます。

◎石井昭博様プロフィール
1945(昭和20)年東京世田谷区生まれ。根っからのモーターサイクル&同スポーツ熱が高じて1966(昭和41)年4月、モーターサイクル出版社へ入社し月刊モーターサイクリスト編集部へ配属される。以来、新型車試乗紹介記事などのほか、専ら国内外モータースポーツ関連記事を担当しロードレース、モトクロスレース、トライアル界などに豊富な人脈を築く一方、当時日本人記者として初めて2輪モータースポーツの3大ビッグレースであるデイトナ200マイル、ルマン24時間、マン島TTを取材。
 また退社独立後には「ザ・モーターウィクリー」というラジオ深夜番組で2輪コーナーを担当。さらに弊社の中綴じ廉価版定期二輪誌「ぼくらのバイクライフ」や臨時増刊「ぼくらのチューニングバイク」、二輪誌初の女性向け季刊誌「レディースモーターサイクリスト」、同月刊誌「レディースバイク」、初のスクーター定期誌「スクーターファン」(現在休刊)。他出版社からは「レディースカー」、当時最年少編集長として「ミスターバイク」を担当。未だ71歳の記録が破られていない最年長編集長として「風まかせ」を、さらに「スクーターディズ」編集長を勤めたバイク雑誌一筋半世紀人間。現在72歳。