2017年6月に「自転車活用推進法」が施行され、「自転車は社会に役立つ!」と定義された。
それは環境への負荷が小さく、災害時に機動的に動け、健康増進、そして交通の混雑緩和等々、、、
国をあげて「自転車」をもっともっと活用しようというものである。
ということで、
サイクリストのバイブルとも言える「サイクルスポーツ」をこれからもよろしくお願い致します。

1950年代

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  • 1951年(昭和26年)日本自転車工業会発足。
  • 第1回アジア大会(インド)の自転車競技各種目で日本選手活躍。
  • 第1回秩父宮杯日米対抗自転車競技大会開催。
  • 1952年(昭和27年)ヘルシンキオリンピックに日本は戦後初めて自転車競技に参加。
  • 第1回読売杯全日本プロ・サイクル・ロードレース開催。
  • 1953年(昭和28年)日本自転車輸出組合設立。
  • 1954年(昭和29年)日本サイクリング協会設立。第1次サイクリングブーム。スポーツ車は高価だが貸し自転車業者があった。
  • 1955年(昭和30年)自転車競技法等の法律改正(競技場や競走に加え、収益を機械工業振興に向ける改正)
  • 1956年(昭和31年)第1回全国高校自転車道路競走中央大会開催。
  • 1957年(昭和32年)日本自転車競技連盟(FJC)が設立し、国際自転車競技連盟(UCI)に加盟。
  • 世界自転車競技選手権大会(プロ)に、日本競輪選手初参加。
  • 1958年(昭和33年)財団法人自転車技術研究所設立。
  • 自転車税撤廃。
  • 自転車タイヤ工業組合が発足。
  • 1959年(昭和34年)日本自転車工業協同組合連合会発足。

日本の自転車界は太平洋戦争が終結して、戦前からの自転車メーカーと、軍需産業から平和産業に転換して自転車生産を作るメーカーが混在し、約200社が復興に向けて動き出した。 戦闘機のゼロ戦を作っていた三菱重工は、工場に残されていたジェラルミンを利用して「十字号」というアルミ製クロス型フレームの自転車を独自開発。 そうした転換メーカーの台頭はあったものの朝鮮動乱特需によって自転車から撤退する企業も多くあり、やがて淘汰された。 50年代の自転車はほとんどが実用車で運搬や通勤の道具として消費された。

1960年代

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  • 1960年(昭和35年)国内自転車生産量300万台を越える。
  • イギリスのアレックス・モールトンがモールトン型自転車で特許を取得。
  • 1961年(昭和36年)スポーツ振興法制定で自転車旅行・サイクリングを健全なスポーツとして国が推奨。
  • ブチルチューブのタイヤ普及。
  • 1962年(昭和37年)軽快車、子ども車が主要生産車種となり自転車需要伸びる。
  • 1963年(昭和38年)財団法人日本サイクリング協会(JCA)設立。
  • アメリカ向け自転車輸出伸展。
  • カンパニョーロ「レコード」発表。
  • 1964年(昭和39年)東京オリンピック開催(大宮政志が男子個人ロード36位)。
  • 第2次サイクリングブームが始まる。
  • 財団法人自転車産業振興協会設立。
  • 1965年(昭和40年)財団法人日本サイクルスポーツセンター設立(CSC)。
  • 1966年(昭和41年)自転車道路建設促進協議会が発足。
  • 大阪で初のサイクルトレインが走る(大阪〜相生)。
  • 1967年(昭和42年) 東京・科学技術館で、第1回サイクルショー開催。
  • 全日本実業団自転車競技連盟設立。
  • 1968年(昭和43年)日本競輪学校、静岡県修善寺町に移転。
  • 神宮外苑サイクリング・センター開設。
  • 財団法人自転車道路協会設立。
  • 1969年(昭和44年)国内自転車生産量400万台を越える。ミニサイクルの伸び率急増。

50年代に極めて短期な第1次サイクリングブームを経て、1964年の東京オリンピックを引き金に第2次サイクリングブーム! 高品質なスポーツ用自転車が生産されて普及していった。 業界はオリンピック前から海外スポーツ車を購入して徹底的に分析・研究して、品質改善を果たした。 67年には東京でサイクルショーが開催され、神奈川県にはサイクリングロードが初めて開通。 高度成長期でモータリーゼーションが発達した一方で大気汚染も社会問題となり、クリーンな移動手段でかつ健康的と自転車は脚光を浴びた。 時代の流れを読んだ八重洲出版創業者・酒井文人(故人)は、サイクリング専門誌の創刊を決意。

1970年代

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  • 1970年(昭和45年)JCA会員証保持者が帆布製専用袋で国鉄列車に「輪行」可能に。
  • 月刊『サイクルスポーツ』創刊
  • 1971年(昭和46年)カンパニョーロ「スーパーレコード」発表。
  • シマノ・デュラエース(クランク)発表。
  • 1972年(昭和47年)シマノ・デュラエース(コンポーネント)発表。
  • ギャンブル嫌いの美濃部都知事が後楽園競輪場を休止。
  • 1973年(昭和48年)第1次オイルショックの影響により、自転車生産量941万台の新記録達成。
  • 1974年(昭和49年)日本一周サイクリング漫画「サイクル野郎」長期連載始まる(〜82年)。
  • 長距離ノンストップタイムトライアル(青森—下関など)がブームに。
  • 1975年(昭和50年)フラッシャー付きジュニアスポーツ車が流行。
  • 国産自転車生産597万台に落ち込む(台湾などアジアに生産拠点移行始まる)。
  • 1976年(昭和51年)モントリオールオリンピックのスクラッチで長義和が日本初の入賞。
  • 駅前に放置自転車が多い、と批判的報道増える。
  • 1977年(昭和52年)世界選手権自転車競技大会(ベネズエラ)で、中野浩一がプロスプリントレースに初優勝。
  • 輪行車のカテゴリーで分解機構が出そろう。
  • 1978年(昭和53年)第1回全国高校選抜自転車競技大会開催。
  • 「日本のサイクリング文化は車種が複雑で頑迷。
  • ロードバイクで旅しよう」と米BICYCLING誌の日本特派員マーチン・C・デビットソンが9月号に寄稿。
  • 1979年(昭和54年)ワンピースウエアがジロやツールに登場、デサントが提供。
  • 自転車安全整備士、組立整備士制度発足。

石油ショックで日本のスポーツ車は対米輸出を飛躍的に伸ばし、アメリカ市場のシェアは73年にピークに達して日本の一人勝ち。 台湾や中国からの輸出もあったがシェアは低く、それにアッセンブルされる部品は日本製だった。 やがて、経済環境の変化でその勢力図は反転するが……。 ヨーロッパのプロロードレースにシマノのジュラエース(デュラエース)が投入され、日本部品は世界的な信頼を得る。 本誌は創刊から2年ほどはサイクリング文化を噛み砕いた啓蒙記事に多くを割いたが、やがて読者の声を反映して洗練し、76年からは三宅寛カメラマンを派遣して「ツール・ド・フランス」を毎年掲載して部数を伸ばした。

1980年代

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  • 1980年(昭和55年)扁平チューブのエアロバイクが台頭。
  • 「自転車の安全利用の促進及び自転車駐車場の整備に関する法律」制定。
  • ワイルドキャットの平木康三によりMTBやBMXの文化が流入。
  • 1981年(昭和56年)日本初のトライアスロン大会となる「皆生トライアスロン '81」が鳥取県で開催。
  • 1982年(昭和57年)ツアー・オブ・ジャパンの前身である「第1回国際サイクルロードレース」が東京と大阪で開催。
  • シマノ「デオーレXT」「105」発表。
  • 本誌とSHOEIで軽量ヘルメットを共同開発(9月号掲載)。
  • 1983年(昭和58年)未登録レース盛況。
  • 初の女子チーム「PARCOレーシングチーム」誕生。
  • 1984年(昭和59年)オリンピック・ロスアンゼルス大会、男子スプリント競技で、坂本勉が銅メダルを獲得。
  • ルックがクリップレスペダルを発表。
  • 国鉄の輪行にJCA会員証が不要に。
  • 1985年(昭和60年)MTB、トライアスロンなどブーム隆盛。
  • 本誌が8月号で日本独自のMTBとツーリング車を融合させた「Mt.SON」提案。
  • 1986年(昭和61年)世界選手権自転車競技大会(アメリカ)で、中野浩一がプロスプリントレースに10連勝達成。
  • カーボン素材モノコックフレームをケストレルが発売。
  • 1987年(昭和62年)日本最大規模のステージレース、“ツール・ド・北海道”開催。市川雅敏がプロロードチームと契約(日本人初プロロードマン誕生)。自転車文化センターで第1回ハンドメイドバイシクル展を開催。
  • 1988年(昭和63年)ソウルオリンピックの男子個人ロードで鈴木光広が25位。スピードスケートがら転身した橋本聖子もスプリントに初出場。
  • 1989年(平成元年)「ツール・ド・おきなわ」初開催。ファニーバイク(ロードTT用)が人気。

80年代末にMTBが日本に紹介されるまで、日本のスポーツサイクリングは、ランドナー系ツーリング派vsヨーロッパのプロロードレースに憧れるレース派が二大勢力で、トライアスロンも盛り上がりを見せていた。 86年に競輪選手の中野浩一が世界選プロスプリント10連覇達成! サイクルスポーツ誌的には中野の快挙を毎年追い続けた、それは大ニュースだったが世間の認知度は低く、10連覇の偉業は国民栄誉賞にならなかった。 レース熱は高まり、大きな「草レース」(未登録選手対象)が各地で開催された。 そして読者年齢も拡大し続けた。

1990年代

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  • 1990年(平成2年)B版だったサイクルスポーツ誌は創刊20周年で1月号から大判にリニューアル。
  • 市川雅敏がジロ・デ・イタリアに日本人として初出場し、50位完走。
  • シマノがデュアルコントロールレバー発売。
  • 世界選手権自転車競技大会がトラックは前橋、ロードは宇都宮で日本開催(アジア初)。
  • 1991年(平成3年)MTBブーム隆盛により商社系資本などがブランドを興す。
  • 1992年(平成4年)1990年に宇都宮で開催されたロード世界選メモリアル大会として「ジャパンカップ」が初開催。
  • 堺に自転車博物館(財団法人シマノ・サイクル開発センター)オープン。
  • 1993年(平成5年)チタン素材がMTBに次いでロードバイクにも波及。
  • 1994年(平成6年)ヤマハが電動自転車「パス」を発売
  • 自転車競技のプロフェッショナルとアマチュアが統合、年齢別カテゴリー導入。
  • 1995年(平成7年)「ルート・エヌ」開催(ブルベ・ジャポン実行委員会)。
  • PL法(製造物責任法)が施行。
  • 阪神・淡路大震災で切断された交通網に自転車が活躍。
  • 日本自転車輸出組合解散。
  • 1996年(平成8年)今中大介がツール・ド・フランスに日本人として初出場。
  • アトランタ・オリンピックで十文字貴信選手が1000mmTTで銅メダル。
  • 1997年(平成9年)「アースディ1997イン東京」開催、都内を自転車でパレード。
  • シマノ自動変速機オートDを開発。
  • 1998年(平成10年)新潟県佐渡市で、アジア初のトライアスロン世界選手権開催。
  • 地球温暖化解決策の一環として運輸省が一部電車に自転車持ち込みができる制度導入。
  • 1999年(平成11年)しまなみ海道開通。サイクリングロード整備が進み、都市部では河川敷サイクリングが定着。
  • 自転車は輸入台数426万台、国産559万台に(自転車産業振興協会調査)。

1990年に宇都宮で開催された「ロード世界選」で幕を開けた90年代だが、MTBがアウトドアブームとの相乗効果で90年代を席巻。 96年アトランタ・オリンピックには正式種目としてMTBが採用され、白馬・岩岳、シマノバイカーズのイベントは万単位のエントリーを記録、富士見パノラマリゾートなどのコースも盛況だった。 が、やがて里山でハイカーとMTBバイカーの軋轢などが社会問題化し、MTBブームはフェードアウト。 海外有力ブランドが相次いで日本市場上陸を果たす反面、メイド・イン・ジャパンはもはや部品のシマノ以外はパワーを失っていった。 だが、読者の胸踊るアイテムが豊富でスポーツサイクル界は活気に溢れた。

2000年代

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  • 2000年(平成12年)第11回国際自転車歴史会議が堺のシマノ本社で開催。
  • 輸入台数が国産台数を上回る。
  • マビックを扱うサロモンアンドテーラーメード社がインターネット商取引開始。
  • 2001年(平成13年)シマノが、コンピューターによって自動的に自転車のギアチェンジとサスペンションを調節する『Di2』(Digital Integrated Intelligence)システムを開発。
  • 2002年(平成14年)野寺秀徳が日本人2人目のジロ完走。
  • 自転車タクシー京都で快走。
  • 2003年(平成15年)アニメ「茄子 アンガルシアの夏」公開。
  • ペダル式自転車が享保17(1732)年に日本で誕生していた史料と模型が復元された。
  • 2004年(平成16年)アテネオリンピックのチームスプリント銀メダル(伏見俊昭、井上昌己、長塚智広)、パラリンピック男子タンデムスプリント視覚障害クラスで銀メダルを葭原滋男(パイロット大木卓也)、男子三輪ロードレース脳性まひクラスで小川睦彦が獲得。
  • 2005年(平成17年)初代自転車名人が忌野清志郎に決定。
  • 75時間制限の1000kmブルベが日本初開催。
  • 村田製作所が超小型センサーで姿勢を制御して走る自転車ロボットを開発。
  • 2006年(平成18年)ホンダが市販前提でMTBのRN01を開発。
  • 前年W杯チャンプのG.ミナーと永田隼也でUCI・W杯に参戦。
  • 『チクリッシモ』創刊
  • 2007年(平成19年)道路交通法改正案「道路交通法の一部を改正する法律(平成19年法律第90号)」が成立。自転車の交通ルールを厳格化。
  • 2008年(平成20年)北京オリンピックの男子ケイリンで永井清史が銅メダル獲得。
  • 10月号でシマノ・電動デュラエース(Di)試乗記発掲載。
  • タイヤチューブへのシーラント剤が台頭。
  • 2009年(平成21年)別府史之、新城幸也が、ツール・ド・フランスの第96回大会で日本人選手として初めて完走。
  • 輸入自転車シェア96.1%に。

自転車文化はアメリカに大きな影響を受けた。 トレックやキャノンデールなど大量生産アメリカンバイクの台頭で、「ロードレーサー」という和製英語が「ロードバイク」の呼称になり、癌から生還してツール・ド・フランスを連覇したアメリカ人選手ランス・アームストロングがヒーローになった。 カウンターカルチャーとしての「NAHBS」(北米ハンドメイドサイクルショー)もあり、サイクルスポーツは伝統的なヨーロッパの自転車だけでなく、より芳醇な文化になった。 本誌は最先端のトップモデルを試乗し、高級バイクがよく売れた。 00年代後半はインターネット普及に伴い、ウエブ媒体「サイクルスポーツ.jp」が立ち上がった。

2010年代

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  • 2010年(平成22年)新城幸也がジロ・デ・イタリア(第93回)に出場。これでツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリアの2大グランツールを初めて完走した日本人となる。オーストリアの世界選個人ロードでも9位に。
  • 2011年(平成23年)別府史之がジロ・デ・イタリアを完走、これで2009年のツール・ド・フランスに続く2度目のグランツールを完走。
  • 2012年(平成24年)女子競輪復活 平塚競輪場で「ガールズケイリン」としてスタート。
  • 新城幸也選手がツール・デュ・リムザン総合優勝。
  • ランス・アームストロング、ドーピングでツール7年連続総合優勝タイトル剥奪。
  • 2013年(平成25年)"ツール・ド・フランス100回記念大会 マイヨ・ジョーヌ(総合優勝)は、クリス・フルーム(英)。ツール・ド・フランスさいたまクリテリウム開催。アニメ「弱虫ペダル」で女性ロードバイク購入者が増加。
  • 2014年(平成26年)ブレーキを付けないピストバイク流行。社会問題になりスポーツバイクへの風当たり悪化。
  • 『ツール・ド・フランス公式プログラム』創刊(以降年1回発行)
  • 2015年(平成27年)萩原麻由子がジロ・デ・ローザで独走逃げ切り区間優勝。
  • 改正道路交通法で自転車の罰則強化。危険行為を繰り返すと安全講習義務。
  • 2016年(平成28年)新城幸也がツール・ド・フランスの第6ステージで敢闘賞を獲得。2012年以来2度目。
  • 完全ワイヤレスのコンポ、スラム・レッド発売。

マンガ「弱虫ペダル」がアニメ化されて、若い女性がロードバイクに乗るようになった。 団塊の世代が健康によい趣味として自転車に乗るようになり、サイクルスポーツは広い世代が関心を持つ分野に。 高級ロードバイクは圧倒的にカーボン製レーシングロードバイクだが、新しい流れで太めのタイヤと快適性を持つ「グラベル系」の機材や、「電動変速コンポ」も複数登場、「eバイク」、アクセサリーもGPS対応でウエアブルなガジェットも出てきた。 サイクルウエアもチーム名が派手に入ったデザインでなく、オトナ向きのシックなスタイルが主流に。 それだけに特集企画は百花繚乱、ワクワク誌面が展開されている。