青春フォトストーリー
私のアルバムから<1>
別冊モーターサイクリスト
※1997年9月号に掲載された記事の転載です。

DSK A25('56年型)と私
新潟県西頚城郡 五味川弥八 (67歳)

 戦後しばらくは1933年型のインディアンに乗っていたのですが、旧車の常で故障が多く、柏崎市の高橋商会本店(当時、DSKとヤマハの新潟県代理店)で、写真のDSK A25を新車で買いました。値段はたしか25万円くらいでしたが、インディアンを8万円くらいで売り、その差額を払っています。
 当時の仕事はコンクリートの2次製品関係で、お客さんとの打ち合わせ、あるいは集金などにバイクを使いましたが、ほとんど趣味でこのDSKには3~4年乗り、その後友人に譲っています。当時、500=A50のほうが欲しかったのですが、45万円くらいしていました。

26、27歳当時の私(五味川弥八)です

 

 ツーリングの写真は、友人と妙高・赤倉方面へ行ったときのものですが、私と愛車のDSKは写す側のために入っていません。当時は道が悪く、ドリームC71とドリーム250ME(左)のリヤシートの女性は 温泉の帰路とかで、途中まで乗せた人たちです。

 現在は昔から欲しかったBMW R69SとDSK A50、それにベロセットLE200を2台持っていますが、ほとんど乗りません。その代わりといってはなんですが、息子が自分の1000ccのフラットツインで走り回っており、 蛙の子は蛙と思っていますが、一緒にツーリングに出かけることはありません。
 なお、DSKを買った高橋商会本店は、モーターボートの取り扱いが多くなっているようですが、現在も盛業中です。


店のアルバムから
東京都中央区日本橋 野村順亮 (76歳)

 戦後間もなくの'45年9月に、日本橋小伝馬町3-2でベロセット、ビンセント、ヤワ・CZの日本総代理店・野村モータースをはじめ、その後国産車の台頭とともに、ヤマハ、ホンダ、ホスクなどを店で扱うようになりました。以下は当時の写真です。


現在の江戸通りに面した店頭で、ドリームE型を洗車する修理工。当時のバイクは油漏れも多く、ガソリンのように揮発性の強いもので洗浄することが多かったのです。通りの向かいには、竹でザルやカゴを編み、それを売っている「カゴ平」さんがありました。'50年代
銀座松屋の裏手にあった銀座温泉で、マニアを集めて、当社主催の映画会と懇談会を開いたときの会場入り口です。当社のサービスカーのトラックはダットサンで、エンジンはサイドバルブの4気筒750ccでした。リヤが見えるバイクは、インターナショナルやモナークの販売を主にした弊社の支店で、藤沢市藤沢本通りにあった神奈川インター販売所から参加した義弟・野口種晴(ヤマハのライダーでもあった)のバイクで、モナーク250のM3だと思います

'55年の第1回浅間高原レースの125ccクラスで、発売後間もないYA1が優秀な成績を収めたために、ヤマハのライダーが都内の販売店をパレードした折りに弊社に立ち寄ったもの。看板左にO.A.S.とあるのは、大蔵省認可の保税倉庫の意味。当時O.A.Sを表示できたのはうちと明治屋、それに日本橋の高島屋の3軒でした。しゃがんでいるのは東京ハシロー会の会長(右)と私。ハシロー会は、店のお客さんを中心にしたMCクラブでした。ヘルメット姿の左端が、野口種晴です



懇談会会場風景。中央でヒジを付き、こちらを向いている白髪の人は、'30年にひとり英国のマン島に渡りTTレースに出場、ベロセットの350ccでジュニアクラスに見事完走して、表彰式に和服姿で望んだという当時の大スター、多田健蔵氏です

ハシロー会はバイクを使っての運動会をよくやりました。江ノ島海岸での競技で、メグロのライダーはくわえたスプーンの上にボールを乗せ、これからのスタートを待っているところです

趣味・単車狂
京都府宇治市 佐々木正治 (75歳)

 昭和30年代ころよりベルト付き原付に乗り初め、今までに数十台、250cc50ccの新・中古車に乗り、整備をしてきましたが、一番乗り安く印象に残っている車は、2サイクルのニューベビーライラック、90ccです。バイク歴45年。原付2種の会(NO.1111)にも入れていただき、老人ボケをしないようにしています。現在乗っている車は、セルボの660ccを雨降り用に、また、車輪が14インチなのでヤマハT90Dを買ったが、シート高は低くなく失敗。身長154cm、股下70cmなので、足つきがやっとです。
トーハツバーディ'56年80cc

ホンダベンリイ'55年125cc
ニューベビーライラック'59年90cc