青春フォトストーリー
私のアルバムから<2>

別冊モーターサイクリスト
※1997年10月号に掲載された記事の転載です。

私の店員時代
熊本県熊本市 工藤宮城 (58歳)

昭和32年6月20日。阿蘇・湯の谷温泉で。熊本ドリーム販売のお客様・遠乗り会(年1回のツーリング)に、私たちはサービス班として同行。お客様が入浴中に車の点検・整備にあたった。当時は悪路が多く、パンクをはじめトラブルは日常茶飯事だった。車はドリーム250ME

 前略 長年、別冊を愛読しています。
 思い返せば'81年6月号、「わだち」の取材を中條犀聖=八重洲出版前社長・酒井文人氏に受け、人吉市の友人、丸尾政喜氏と、芦北町、善教寺の住職・佐々木英信氏とともに登場させていただき、よい思い出になっています。
 また、昨年12月号の「タイムトンネル」の記事中、1957年の第2回浅間火山レースに出場したメグロRZ500(ライダーは杉田和臣。セニアクラス優勝)は、私が十年余りもっていた車ですので、非常に懐かしく拝見、 さらに今春、ビッグサイトホールで行なわれた「モーターサイクルジャパンフェスタ'97」には、丸尾氏所有のメグロZ7(私が仕上げた)が展示されました。
 さて、前置きはこのくらいにして、写真の説明に入ります。

昭和30年。中学3年卒業前に兄の車、1954年型キャブトン350ccに跨る学生帽の私。半長靴(といっていた。今はブーツ)が高くて買えない(皮革製品=高級品だった)ので、ゴム長を履いて半長靴気取りになっている。当時はまだウインカーがなく、右左折は手信号が通常だった。家の前で


昭和32年5、6月、17歳のころ。卒業後、熊本ドリーム販売(株)に住み込み就職をした。バイクはホンダ200EKの新車。刀川君(後ろ)と。当時は傷が付かないように、新車納車前にはフォークまわりなど、車体の一部を梱包してあった。後ろはくろがねのオート3輪車


昭和33年。熊本ドリーム販売・八代営業所の開店記念日。店頭には左から1958年型ドリームC76(ホンダ初のOHC2気筒セル付き車、C71のボアアップ版300cc)、ドリームスポーツ CS76=18万2,000円と私、そしてベンリイ JC58=125cc・13万円の新車が並ぶ


同、八代営業所開店記念日。左・松岡専務と私(帽子)。ドリーム号 4サイクル2気筒セルモーター付 C76型 300cc 最高馬力21hp 最高速度140km/h。ドリーム 最高速度130km/h C71型 18hp 4サイクル2気筒 セルモーター付き 気筒容積250ccの説明が読める

腕を競った36年前
京都府京都市 平 健次 (49歳)

 中学1年生のとき。友人(お金持ち)のカメラで学校が終わってから、よく好きなモーターサイクルを写しに行きました。そのころからホンダ車が格好よくっていいな──と思っていましたが今や、完全なホンダフリークです。
 走ってくる自動車をピンボケせずに、どちらがうまく写せるかを友人と競ったものです。オートバイを写していたらそこのおっちゃんが、私たちにカメラの持ち方とかいろいろアドバイスしてくれたことを思い出します。
 もう、36年前のことです。昔は、よかったな──。
 撮影日は1961年、昭和36年です。 乱筆、ごめんなさい!

1960年発売のライラックランサーマークLS38と、三菱の軽3輪車レオ。レオの影はプリンスか?

 

コンテッサは、日野ヂーゼルがルノーを完全国産化し、その後に自社開発したリヤエンジン車

 

'ボンネットバス。三角窓横の腕木式方向指示器、長いステーの先の小判型ミラーが時代をしのばせる

 

国産の4輪車にすらまだまだ手の届かない時代のスーパーカーが、1500ccのMG TD(英)だった

ミゼット・丸ハンドル。実用車としてのMCとスクーターは、軽3輪の登場で窮地に追い込まれていった

■昭和30年代の工業製品(バイク・写真機など)は高価で、機材の性能も低く、動感のある被写体をシャープに撮ること自体が手腕のひとつだった。今こうして三十数年前の写真を拝見していると、それがまた、なんともいえない味わいである。
(編集部・アルバム係)