青春フォトストーリー
私のアルバムから<5>
別冊モーターサイクリスト
1998年1月号に掲載された記事の転載です。

同宿の女性たちと
山梨県八代郡六郷町 伊藤三千雄 (67歳)木工業

 

 昭和30('55)年8月6日、山中湖湖畔で撮影。バイクは左からハッピーセブン250。メグロレックス350。そして右の2台はモナークM3、250=17万5,000円。河口湖湖上祭り(花火祭り)見物後、吉田に泊まり(自宅と河口湖間の距離は近かったが当時は道が悪く、夜間に山道を下るのは危険が多かったので)、翌6日、山中湖まで足を延ばした折りのもの。当時はどこへ行くのにも道が悪く、車重が軽く、プランジャーサスのモナークは後ろが跳ねて、重いハッピーセブンやメグロに後れをとったが、本栖湖への登り道(ダンプ街道)などでは、軽快なモナークが速かった。右から3人目が私。
 女性たちは「あの人たちが、バイクに乗せて山中湖へ連れて行って欲しいといっているけど、どうでしょうかね」と朝に宿の女将さんがいうので、鼻の下を伸ばしながら一緒したもの。3人とも甲府(山梨県)の松菱デパートに勤めている方々でした。
■「山中湖へ連れて行って欲しい……」とあるのは、昭和30年代の日本女性は、初対面の異性に向かって、むやみに口をきくものではない──というたしなみ(死語か?)をもっていたからである。後方に広がる閑散とした山中湖、専業主婦が圧倒的多数だった当時のデパートは、女性に開かれた数少ない職場だった。彼女たちの服装は、当時の最先端であろう。それにしても、スカートで横座りをして乗ってきたのだろうから活発な、お転婆娘たちだったのだろう。
(編集部・アルバム係)

 

 昭和30('55)年6月、25歳のときに、自宅から20kmくらい離れた下部温泉へ、恐る恐る行った(全線未舗装路)ときのもの。初めての町外ツーリングだった。モナークはこの4月中旬に、甲信メグロ自動車(株)で購入したもの。本当はメグロの250が欲しかったが、モナークより1万円も高くて断念。当時、大工の日当が500円だから、1万円は大金だった。現在は陸王3台(RQとRT)をもち、1200の側車をレストア中です。
■「ハッピーセブン」は、静岡県浜松市にあった日進自動車工業(株)が、愛知県にあったみづほ自動車製作所から、OHV単気筒J型エンジンの供給を受け、完成車にして発売していたもの。250ccのハッピーセブンKM型は最高出力12ps/5,000rpm、4段変速で最高時速は105kmだった。
「メグロレックス」はOHVエンジンで、ボア・ストローク74×81mmの348cc単気筒。最高出力13ps/4,000rpm。4段変速で最高時速100km。この年代の国産自動2輪車の最高時速は100km前後。メグロの最高機種、500cc単気筒のZでさえ110km/hだった。
「モナークM3」。東京都港区芝にあったモナークモーター(株)の250ccモデル。'54年の第2回富士登山オートレースでは出場全車が、1、3、4、7位入賞の優秀な成績を収め、マニアックな造りと性能から、ファンが多かった。OHVエンジンはベロセット(英)を手本にしたハイカムシャフト。また、150ccエンジン搭載車の「モナークインターナショナル」と、メグロのOHV150ccエンジンを搭載した「ポニーモナーク」の3車を造っていたが、メグロのエンジンをポニーが使用していた関係で、メグロの大手代理店では、モナークも扱っていた。
(編集部・アルバム係)

亡き父とバイク
栃木県小山市東間々田 斉藤忠之 (30歳)


 この写真は、1950年代に撮影されたもので、今は亡き20代の父が写っています。
 当時父は建設会社に務めていて、現場監督として工事の見回りに行ったり、遊びでバイクを乗り回していたそうです。「昔の道路は砂利道だったから、転ぶと手の平に小石がたくさんめり込み、その場で取れない小石を家に帰ってから、ピンセットで1個ずつ取るのが凄く痛かった。でも、バイクなんてそんなに走っていなかったから、女の子がすぐバイクの後ろに乗ったもんだ」などと、笑いながら話していました。

 


エーブ スター FR250 1954年

シルバーピジョン C25 1951年
 当時、母は父に「お前も免許を取れ」といわれて夜、校庭で練習をしたそうですが恐くて、免許を取るまでには至らなかったそうですが、「お父さんと2人乗りで日光(栃木県)へ行ったときは、すごく気持ちよかった」といっています。
  私もいつの日か、父の乗っていたバイクを買って乗ってみたいと思い、「国産モーターサイクル戦後史('87年・小社刊)」で詳しく車種を調べようと、バイクの写っているネガから、プリントした2点です。
 現在私は、兄のバイクと合わせると、6台くらいもっていますが、よく乗るのはカワサキZ1、そして土手などをBW200で走り回って、遊んでいます。

23~25歳の断想
京都市上京区大宮通寺之内上る西入る東千本
山本一雄
(66歳)


 No.1。23歳のときに初めて買ったオートバイで、購入先の平野自動車出入りの仲間と、京都~和歌ノ浦へ遠乗りに行った折り、和歌山城の前で記念撮影('60年)したものです。手前2台はオリンパスマックス250cc=18万5,000円で、あとはオリンパススーパーツインです。マックスは重い車だったのですが乗り心地はよく、なぜかフューズがよく飛んだのを覚えています。左端でマックスに跨っているのが、私です。

 No.2。毎年夏になると、友達と高浜(福井県)へ海水浴にオートバイで行きました。2年ほどマックスに乗っていたのですが、その後2サイクル水平2気筒のスーパーツイン=18万2,000円に乗り換え、間もなく事故で廃車にしてしいました。マックスの最高時速は120~130kmくらいでしたが、スーパーツインは2人乗りで、140km/hのメーター一杯近くのスピードが出ました。オリンパスのあとはCB72のタイプ1に4~5年乗り、以降10年間くらいはクルマに移り、その後ヤマハのSR250に3年、そしてビラーゴ250からエストレヤときて昨年、還暦を前にして、念願だったハーレー883を買いました。写真No.2は、右から2番目が25歳の私。撮影場所は国道27号線沿いです。左端はホンダドリームCS72です。
■メーカーの規模が小さく、今日のように物流が発達していなかった当時、関西のメーカーのバイクを関東以北で見ることは希だった。編集部の資料のなかにも、名古屋のメーカーだった片山産業(株)のオリンパスマックス(OHV250cc単気筒)や、スーパーツインが複数台数で写っている写真はない。
(編集部・アルバム係)