青春フォトストーリー
私のアルバムから<10>
別冊モーターサイクリスト
1998年6月号に掲載された記事の転載です。

17歳当時のCB72とCL90
長野県小県郡丸子町御岳堂 成沢洋二 (45歳)病院職員

 バイク歴は25年になります。この2枚は17歳当時の私です。高崎へツーリングに行き、そのおりに群馬県側から登ってきたカワサキ650W1の大きさに圧倒されました。現在はW1を始めしてホンダドリームCB72、CL72など多くの旧車に囲まれて、充実した日を送っています。


碓氷峠頂上。友人3人と高崎までツーリングしたときのもの。私は友人とタンデム。このとき群馬側からピカピカのW1が上がってきた。CB72の後方はCB160。今改めて見ると、長いハンドルにジャイアントミラーとかいった長~いバックミラーで、はたして、後続車がブレずに確認できたのだろうか? '69年夏


ホンダベンリイCL90と自宅前で。中古で買ったヤマハYGS1が壊れてしまったので、町内の掛川モータースから親に新車で買ってもらったのがこのMC。確か8万2,000円でした。エンジンは外れで、あまりよい思い出はありませんが、なんとか卒業まで走ってくれました。新年を前にしての洗車後、母と17歳の私。CL90は解体屋行きになりました。'69年冬

大枚15万円で買ったCR93
茨城県古河市横山町 吉田 茂 (57歳)酒類小売業

国道4号線、JR宇都宮線の陸橋上でのホンダベンリーレーシングCR93と私。昭和38年元旦。C200は友人のバイク

 '60年代中期に、ホンダが世界GPで連戦連勝していたときに発売された市販レーサーが、カムギヤトレインのDOHC4バルブ+乾式クラッチのホンダベンリイレーシングCR93でしたが30万円と高く、雑誌の売買案内欄で中古車を探し、'62年に15万円で買いました。当時、ドリームスーパースポーツCB77=305ccツインも持っていましたが、CR93のロー以外での加速は、CB77と同等の速さでした。
  このCR93はその後、'58年の第1回全日本モーターサイクルクラブマンレース(浅間)などで有名だった本田和夫さんに売りました。なんでも、アメリカへ持っていくとのことでした。
 CR93はロングタンクにバックステップ、シングルシートなどを備え、日本のレーサーレプリカの元祖的なバイクで、今でも記事が出ると、いつまでも見ています。現在バイクは持っていませんが、毎月15日が楽しみです。古い記事もときどきは頼みます。

寒かった山形への紅葉見物
東京都新宿区百人町 掛札國昭 (53歳)会社員

昭和39年、大学入学当時のルンルン気分の私(19歳)と、父が商用に使っていたラビットスーパーフローS101D-2。ラビットを下取りに出して、父はダットサンのセダンを買ったはずです。水戸の自宅前で


CS72を下取りに出して水戸ホンダで手に入れたホンダドリームCIII72(17万円)で、紅葉見物とリンゴ狩りに友人と出かけました。写真は明治時代を感じさせ旧山形駅前で、昭和42年10月16日、大学3年・22歳当時に撮影。現在の駅舎に、往時の面影はありません。
 CIII72は卒業時に売却しましたが買い戻し、現在もナンバーだけは付けてあって、定年になったら、トコトコ走らせるつもりでいます

 

 水戸(茨城県)→郡山→福島→山形を1日で走破。学生で金もなく、山形駅のベンチでゴロ寝。翌日は天童→仙台→松島を巡り、4号線を南下して宇都宮で腹ごしらえ。寒くて新聞紙を懐に入れ、アルコールも補給するがとにかく寒いので飛ばしに飛ばし、友人の下宿のある千住(東京・荒川区)に着いたのは真夜中の12時。顔は真っ黒でした。
 今思えばこのツーリングは、若さの爆発だったようです。上の写真で左のヘルメット(私)は、白バイ仕様のオリジナルが自慢。もちろん当時は2車線の国道のみでした。

5,500kmのソロツーリング
埼玉県北埼玉郡騎西町上種足 平野安雄 (48歳)会社員

 大学時代の記念にと、3年生の夏休みに12日間かけて北海道ソロツーリンに出発した。積丹半島から北は宗谷岬→知床五湖→根室→襟裳岬と右回りしたのですが、黄金道路は「砂利道路」で閉口しました。
 往路は4号線を一路北上し、帰路は秋田→新潟と日本海側を戻り、総走行距離5,500km、使用ガソリン120L(L当たり45.38km)と、我がホンダベンリイCL90は頑張りましたがその後、甥に渡して消息不明です。できることなら、一緒に北海道へ行ったCL90に会ってみたいものです。


昭和45年7月21日朝5時30分、出発を前にして緊張気味の私(21歳と4カ月)と母(右端)、友人ふたり(写真にはひとり)に見送られていざ出発。自宅前で

 

 

 

 

昭和45年7月28日。根室→襟裳岬へ向かう道中。木片の標識には「黄金道路 広尾33km 鹿野 広尾町」と読める

車名がわかりません
東京都東村山市富士見町 伊藤 隆 (48歳)会社員

 この写真の前に、自転車に乗っている自分のカットがあるので、オートバイにまたがらせて撮ってくれたものだと思う。この後にオートバイのタンクに座って、テストコースを走った覚えがある。路面が下からわき上がってくるように見えたこと、タンク越しに伝わってくる振動、視界の圧倒的な広さ、風を切る気持ちよさに強い印象が残っている。
 30年ほど単車に乗っているが、当時の感覚はどうしても戻らず、なにか違って現在に至っている。

昭和34年、通産省工業技術院機械試験場。試験場の研究員が新車?を買って、10歳くらいの私を乗せて撮ったものだと思う

■写真は、'57年型のホレックスレジナ(ローマ皇后の意味) 250-2型です。写真の機械試験場(現・都立東村山中央公園)の裏手に西武多摩湖線があり、建物と線路の間に500mくらいの直線2本をつないだダ円の自動車用テストコースがありました。
 通産省は国産車の性能向上のために、'50年代に西ドイツのホレックスやアドラー、スイスのモトサコシ、オーストリアのプフなど先進諸国の優れたMCを輸入し、外貨枠をもたなっかった当時のメーカーに、参考車両として貸与したものの1台だと思います。
  レジナはボア・ストローク65×75mmのOHV249cc単気筒。最高出力17ps/6,640rpm。4段変速、軸距1,390mm タイヤサイズFR3.25-19 車重167kg。最高時速120kmの高性能車で。名古屋にあった片山産業のオリンパスキング250/350、宮田製作所のアサヒJA350などのエンジンが、ホレックスのエンジンの影響を強く受けていました。
(編集部・アルバム係)