青春フォトストーリー
私のアルバムから<11>
別冊モーターサイクリスト
1998年7月号に掲載された記事の転載です。

アサヒ号ではないでしょうか?
宮城県気仙沼市字四反田 藤村藤吉 (47歳)会社員

 昭和30年ころ、東京・港区の新橋に住んでいたときの長兄の写真で、バイクは宮田製作所のアサヒ号ではないかと思うのですが、はっきりしません、現在は私もバーハンドルのダイハツミゼットや、古いオートバイを楽しんでいますが、写真のバイクが気になっています。

はっきりわかりませんが、ミヤタ製作所の90~125ccのアサヒ号ではないかと思うんです。港区・新橋で撮影

■写真のバイクは、「ニッケイN52D」です。'52年に東京・荒川区尾久の「日本軽自動車商工組合」から発売されたもので、52×46mmの98cc。最高時速50kmです。ニッケイでは同年に、88ccのスクーターも発売しています。日軽の創立は'50年9月で、モーターサイクリスト誌の'52年6月号に広告が出ていました。
(編集部・アルバム係)

好調だったノートンドミネーター
静岡県静岡市若松町 山西國夫 (63歳)会社員


「トヨタ自動車 東京トヨペット 清水分室 商品車 車両置き場」で、昭和36年7月ころ撮影。当時24歳の私とドミネーター。後方は'61年型トヨペットクラウンDX
 16歳でキャブトン350ccRBH、その後600ccに2台乗り、昭和34年7月ころに中古で、'53年のノートンドミネーター500を横浜(神奈川県)の自転車店で8万円で買い、静岡まで乗って帰りその後、箱根や伊豆方面へツーリングに行きました。
 ノートンは非常に乗りやすく、故障もなく気に入っていたのですが、3年後に友人に売り、その後は全部ートンで、650SS→750FB→850インターステーツ。そして現在はBMW R51側車、R67、R69S、DSK A50 2台、BSA ZB33などを持っていますが、まともなバイクはありません。

40年前の我が父の雄姿
神奈川県平塚市出縄 須藤三善 (30歳)会社員

 昭和34年秋の父です。当時はほとんどが未舗装路で、ほこりだらけになって走ったそうです。ホンダドリームC70は中古で10~15万円くらいしたそうですが、給料が1万円に届かなかったために、大変な贅沢品だったそうです。
 帰路、他車におかまをほったそうですが、当時は大したことがないと、「平気です」で終わったそうです。

伊豆箱根鉄道十国登り口駅前での20歳の父とホンダドリームC70

父の思い出、息子が代弁
愛知県名古屋市守山区西川原町 石神 徹 (36歳)会社員

 私が中学生のころ、この写真を父(一夫・66歳)のアルバムに見つけたとき、「とうとう見つかったか……」という顔をしたのを覚えています。父はメグロで転倒して鎖骨を折っていますので、私には隠しておきたかったようですが、写真が見つかったときには開き直った感じで、「俺はメグロのゴヒャクに乗ってたんだ!」と、自慢げに語りました。
 社長はケチなくせに新しもの好きで、オート3輪車や自動2輪車をポンと買い、幸運にもそれらの車両を任された父は、昭和26年にオート3輪車の免許を取り、後に普通免許の二種に切りかわったそうで、4輪も取っておけば、大型自動車に切りかわったのにと悔しそうでした。  自動2輪免許は昭和30年、近所のガラス屋さんのインディアンを借りて試験場に持ち込み取ったそうです。
 メグロはハンドチェンジで、クラッチはハンド&フート式、キックは死ぬほど重かったそうです。  以上、長々と済みません。
 私がMCに親しむようになったのも、これらの写真が元でした。父の思い出は、写真を借りた折りに聞いたものです。もし掲載されたら別冊を2冊買い、1冊を父にプレゼントするつもりです。

 

'51年型メグロZ2と「木全美容商事社・社屋前」での25歳前後の父。昭和30年3月29日撮影
昭和31年11月。会社の慰安旅行で富士五湖巡りをしたとき、ミリオンセラーになったシルバーピジョンC57Ⅱ=200ccのレンタルスクーターを借りた父と同僚(左)

 

■新三菱重工が造っていたスクーターが「シルバーピジョン」 エンジンは65×58mmのSV192cc Vベルト式自動遠心クラッチを備え、戦後から'50年代のスクーター最盛期まで、富士重工の「ラビット」と市場を二分した。C57の価格は16万円だった。

(編集部・アルバム係)