青春フォトストーリー
私のアルバムから<12>
別冊モーターサイクリスト
※1998年8月号に掲載された記事の転載です。

30年くらい昔の父
北海道士別市東8条北 大西幸洋 (38歳)会社員

 毎号楽しく、別冊を読ませていただいています。これは父の写真ですが、詳しいことはわかりません。
 現在は父の影響で、CB750Kを始め20台以上のバイクを持ち楽しんでいますが、やはり昭和40年代のバイクに思い入れがあります。道内のDO Bikeが休刊になり少し寂しくなりましたが、別冊は今後とも、末長く読んでいきたいと思います。道北にも、多くのバイク好きがいますから、1度取材にきてください。



昭和30年代に層雲峡・銀河へ、父が仲間とツーリングに行ったときのもので、右からふたり目がベンリイで行った父です
士別市多寄町のバイク仲間と、同じく層雲峡・大函へ行ったとき。前列左からふたり目が父です。私も父の運転で、砂利道を走ったことをうっすらと憶えています

YA-1を今も持っています
群馬県渋川市石原 高橋 貞 (56歳)公務員

 バイクに興味を持ち出したころ浅間火山レースが行なわれました。'58年からは全日本モーターサイクルクラブ連盟=MCFAJが発足して、火山レースと共催で「全日本モーターサイクルクラブマンレース」が行なわれ、BMWに乗る伊藤史朗やベンリイCB92での北野元の活躍、また初めて、ホンダ4気筒マシンのエキゾーストノートに体を震わせたことが、まるで昨日のようによみがえってきます。


'59年8月2日。浅間火山レースのゲートです。私たちはMCFAJへ、「渋川トップクラブ」として登録をしていたので、みんなで見物に出かけました
火山レースの駐車場で。左から石原会長、18歳の私、間渕、池田(修理担当) 高橋、須田、伊藤、入沢、堀込。右の帽子が斎藤という渋川トップクラブの面々。長野原町応桑の湯潟屋に宿泊し、レース見物をしたのです。このときのYA-1は現在も持っています

5万円のK10でレース出場
静岡県浜松市志都呂町 和田 宏 (62歳)

5万円で買ったでスズキで、鈴鹿サーキットのホームストレッチを快調に飛ばす我々のK10

'62年に完成した、鈴鹿サーキットの観客席で28歳の私。'63年3月撮影。現在は妻と長女でのツーリング、また、GSX750でワインディングロードを楽しんでいます

 第1回耐久レースが鈴鹿で開催されることを知り、スズキK10の中古車を購入して、職場仲間の渡辺輝人をパートナーに、杉山昴太郎をメカニックにチームを作り(3人はダートがほとんどだった国道1号時代に、大阪の堺市までツーリングをした仲間) 土砂降りのなかをレースはスタート。
 スプーンでは水がコースを横切っているなかを4分くらいでラップを重ね、2位でチェッカーフラッグを受けました 。

シルバー200にDaxで出場
愛知県名古屋市瑞穂区豊岡通り 金野和夫 (46歳)会社員

 CB750フォアは、高校を卒業後就職してすぐに、東京・足立区のヒカリホンダから新車で購入したものです。排気音の素晴らしさと乗りやすさで気に入ってましたが、2~3年後にロードレーサー=TA125を買うために、下取りに出しました。

'70年5月の連休に、CB750フォアで箱根へツーリングに行ったとき。左端が19歳の私

'72年7月に、モーターサイクリスト誌の主催で、茨城県・水戸の米軍射爆場で行われた「シルバー200」に、ダックスで出場したときのもの。右端のヘルメットが21歳の私。2周でリタイヤしました。だって、セニア選手とか、ばりばりのモトクロッサーと一緒に走ったんです。いま思えば無謀でしたが、よい思い出です