青春フォトストーリー
私のアルバムから<13>
別冊モーターサイクリスト
※1998年9月号に掲載された記事の転載です。

珍しかったポインター
滋賀県神崎郡能登川町伊庭 村田孝一 (50歳)会社員

 初めて乗ったのは、スーパーカブのC105で、1年くらい乗っていて、次が友人から2,000円くらいで買った125のポインターセニアでした。スタイルは神社仏閣式のホンダベンリイに似た2サイクルのロータリー4段変速車でしたが、当時の125ccは全開でも、90km/hくらいしか出ませんでした。
 ポインターのあとに乗ったのが、'66年に発売されたホンダCL125で、これは新車で16万2,000円でしたが、あまり加速がよくなく、2,000kmほどでCB450を買うために下取りに出しました。もう、バイクに乗り出して34年がたっています。

ハンドルの部分しか写っていませんが、神社部仏閣式のポインターセニア125と、自宅近くの県道で17歳の私。'65年10月、学校からの帰路


彦根市の湖岸道路近くで、友人の CB125と一緒に、琵琶湖1周ツーリングに行ったときのもの。当時は交通量も少なくのんびりと走れました。'67年5月撮影

おやじのバイクです
福島県郡山市大槻町土爪 増子善弘 (17歳)アルバイト

 母から昔のアルバムを見せてもらったら、このバイクの写真が貼ってありました。母は「お父さんが乗っていたのよ」と言いました。僕が小さいころおやじと母は離婚をしましたので、それ以上のことは、わかりません。
 僕はいま、メグロのS7に乗っています。おやじがいればバイクの話ができるのにと思うと、残念です。

写真はキャブトンのRTFですが、年式はわかりません。すいません

すぐ不調になった恋人第1号車
埼玉県川越市砂 小俣直包 (54歳)会社員

 戦時中に疎開していた母の実家が、今でも国道20号線沿いの山梨県にある東(あずま)モータースです。疎開当時、パンク修理などの依頼があると、叔父が私をドリームの荷台に乗せて、よく修理に連れて行ってくれました。以来、中学、高校時代もずうっと2輪に興味をもっていましたが、自分のバイクを持てたのは、大学生になってからでした。

恋人第1号車が通称赤トンボのヤマハ YA-1 '57年型。上野(東京)の光輪モータースで昭和37年3月ころに購入。走行距離2万2,834kmのYA-1は、上野から新宿へ帰る途中に早くも不調になりました。写真は昭和37年4月26日、大学構内で

昭和37年5月18-19日。写真大学の修学旅行で、日光(栃木県)へ行った折りに、下ろしてまだ間もないCP77の白バイに跨っての記念撮影。レッグシールド下端に、ウエスがさりげなく挟んであった

初恋のCL72をまた手元に
奈良市西九条町 豊沢静雄 (48歳)会社代表

平成9年。自宅車庫前で赤と黒の愛車・CL72と47歳の私

昭和41年秋。琵琶湖大橋での17歳の私とホンダドリームCL72。CLは3年後に、弟に譲りました

 33年前に中学校を卒業しましたが私は勉強が好きでなく、家で仕事をすることにしました。昭和41年に2輪の免許を取り、両親が16歳の私に初めて与えてくれたのがドリームCL72でした。納車される日は朝からソワソワし、実車を目の前にしたときの喜びようは言葉にもならないものでした。そんなとき、高校で授業を受けているはずの友人が顔を出し、「どこかに遊びに行こう」というのです。ふたりで迷うことなくCL72にまたがり、琵琶湖大橋に向かいながら、感動というのは、こういうことだと思いました。
 そんな出会いが忘れられずに、平成8年にまたCL72を探し、現在は赤と黒の2台を手元におき、「関西CL72クラブ」を昨年、有志5人で結成しました。単車は、私に多くの友人と夢を与えてくれる心のパートナーです。