青春フォトストーリー
私のアルバムから<18-1>
別冊モーターサイクリスト
1999年2月号に掲載された記事の転載です。

CB450の思い出
長野県須坂市南横町 田子 功 (46歳)会社員

 ヤマハYDS2に乗っていましたが、よくダイナモが壊れたので、私は安心して遠くへいけませんでした。そんなわけで、よく友人のバイクを借りたので、このヨンハンは、まるで自分のもののような思い出があります。

友人・玉井君のCB450エキスポートにふたり乗りをして、新潟・上越へいったときの私。'72年8月15日

父が貰ったスズキ
石川県金沢市利屋町 吉村雅樹 (36歳)会社員

 父がオートバイ好きで、ラビットの写真が何枚もトイレに張ってあったことを覚えています。メグロも何台か乗り継いだそうですが、家にあったのを覚えているのは、このバイク(写真)からです。法事の時に、親戚のお兄さんが後ろに乗せてくれて、近所をひとまわりしてくれました。後は2歳の弟です。このころの影響か、今でもふたりともオートバイに乗っています。


'昭和42年5月ころ。親戚の叔父から父がもらったスズキが家へ届いた時。5歳の私と弟。このバイクは、2?3年後にスクラップになりました
■50ccのコンパクトな車体に、50ccのエンジンをボリュームアップした80ccを積んだスズキ80K10は、鈴鹿サーキットが完成した同年の'62年5月に発売されると同時に、良好な走りっぷりで人気を呼んだ。さらに販売に拍車をかけたのが、K10の外観をスポーティにして、'63年に7万7,000円で発売された、おふたりが跨る80K11。80Kシリーズの累計生産台数は10万7,000台に達し、これ以降スズキは、中間排気量車の開発に一段と力を入れたのだが、このあたりは、八重洲出版創立40周年記念誌、「日本モーターサイクル史」 定価4,000円に詳しい。記念誌のお問い合わせは小社販売部TEL03-3552-8431。
(編集部・アルバム係)

特注品のロケット
愛知県春日井市小野町 伊藤静男 (64歳)自営業

 '58年に浅間で行われた、第1回全日本モーターサイクルクラブマンレースに使ったレーサーのエンジンを、新しいフレームに載せるとクインロケット名古屋営業所がいうので、私と友人がオーダーしましたが、メンテナンスを受けるために友人とともに、浜松のクインロケット商会と、エンジンを作った榎本鉄工によくふたりで行ったのも、いまではよい思い出です。

アップマフラーからオイルが背中に飛び、クラブジャンパーはシミだらけになりましたが、さすがツユンダップ(独)のフルコピーだけあり、120km以上で走れました。'58年に納車されてすぐのクインロケット200と23歳の私

CL72を再度買う
埼玉県行田市堤根 関口 実 (49歳)自営業j

 友達と作ったクラブの初めてのツーリングで、仙台まで七夕を見にいきました。 東北自動車道もまだなく、ひたすら国道4号線を行った私の、初めてのバイクです。以降数台のバイクを乗りかえて去年、また、CL72を買いました。

 

仙台へ向かう途中の国道4号線上で。栃木県の人から8万円で買った中古のCL72のシート上で、格好を付ける16歳の私

 

出てきた1枚の写真
宮城県気仙沼市幸町 熊谷 博 (46歳)会社員

 友達が'98年7月号のこのページに載り、私もさっそく写真を探したら、ありました。いとこの勝郎ちゃんちの前で、バイクに跨っているのが……。

勝郎あんちゃんと、トヨモーターに跨る5~6歳当時の私

ライラックと我が父
東京都中野区弥生町 池田 昌弘 (61歳)自営業

 2台目のライラックで、跨っているのは父です。上野(東京都台東区)のほうのモータースから新車で買いましたがいつも、エンジンまわりからオイルが漏れて、汚れていたような記憶があります。1年くらいして父は、ホンダに乗りかえました。

'52年、購入後間もなくのライラックKD150ccに自宅前(中央区日本橋)で跨る父。当時私は17歳