青春フォトストーリー
私のアルバムから<24>
別冊モーターサイクリスト
※1999年8月号に掲載された記事の転載です。

欧州車の香り
山梨県甲府市山宮町 長谷川正(67歳) 自動車部品商

'55年当時、日本には陸王、メグロ、みづほ=キャブトン、ツバサ、アサヒなど多数のメーカーが林立していたなかで、モナークはヨーロッパ的で、高回転の出るエンジンでした。そなんなところにひかれて1月に、東都産業(ピストンメーカーで当時、東京・港区虎ノ門にあった)で購入しました。

当時住んでいた近くの目黒区サレジオ教会前で。'55年2月27日。モナークは5年くらい乗ってから、友人に譲渡した

 

■'60年当時の500㏄は重量車で、転倒時に車体とライダーを保護するバンパーを装着したクルマは多かった。このZ7も、バンパーを前後に付けている。現在では、トラックも付けないような、巨大なたれゴムもリアに付けている
(アルバム係)

18歳当時の私と妻
和歌山市掘止西 和田定弘(51歳) サービス業
昭和40年、私が通学のときに乗っていたのはスーパーカブC65で、親はラビットに乗っていました。当時、妻の兄はスズキコレダ250スーパーツーリングに乗っていて非常にうらやましかったのですが、現在私は、カワサキバルカン1500で、妻とタンデムツーリングを楽しんでいます。


スーパーカブC65と18歳の私。昭和40年


昭和40年、妻と兄のコレダ。妻の自宅前で

 


初めて買った250 広島県呉市宮原 北村弘治(71歳) 無職
原付にさんざん乗り、それから初めて250に乗ったので、ただそれだけでうれしく、通勤はもちろん、休日には必ずツーリングを楽しみました。当時は国道といってもほとんど未舗装で、山道では深いわだちとこぶし大の石が多く、転倒とパンクは当たり前で、傷薬とパンク修理道具と空気入れは必ず携行していました。この日も峠の下りで転倒してすねをすりむき、クラッチレバーが折れたので、プライヤーを針金で縛り付けて帰宅したのを覚えています。当時は多くのバイクメーカーがあったと思いますが、ホンダのクルマはすでに高い信頼性をもっていました。現在は'96年型GL1500にサイドカーを付けて楽しんでいます。

 

広島←→島根県県境の傍示峠(R186)でのドリームC70と、32歳くらいの私。'60年ころ撮影

 


叔父のメグロZ7と 山梨県北巨摩郡長坂町白井沢 山岡慎一(38歳) 会社員
30年ほど前、叔母の家へ遊びに行ったとき、叔父が松本からバイクで帰省していて、その横で写してもらったものです。叔父は現在もハーレーに乗っています。

'68年、8歳の私と叔父のメグロ500 Z7。北巨摩郡須玉町津金で