青春フォトストーリー
私のアルバムから<29>
別冊モーターサイクリスト
※2000年1月号に掲載された記事の転載です。

後方は37年前の女房
東京都練馬区三原台 佐藤栄蔵(81歳) 無職

ノートン→マチレス→ハーレー1200→ラビット→ホンダ350→トライアンフ500の次に乗ったのが、タイガー110=650㏄です。これでは未舗装の多かった東海道を走り大阪へ行ったり、日光にも行き、小遣いはすべてハイオクのガソリン代になりました。トライアンフT110は平地ではヤマハと同じ走りでしたが、坂道に行くとトルクの差で速く、デザインも気に入っていたバイクの1台でした(代筆・甥)。

昭和36('61)年春、港区高輪の自宅前で。44歳。これから箱根へツーリングに出発するところ。かっぽう着姿は現在82歳の妻。トライアンフは当時麻布にあった潰れそうなバイク屋(その後倒産)から38万円で購入。2年後に友人に20万円で譲りました

 


偶然友人に会う
鹿児島県枕崎市中央町 山口清春(52歳) 会社員
偶然とは恐ろしいもので、CB500Fourに乗る友人とふたりで熊本方面へツーリングに行く途中、これもツーリングで来ていた会社の後輩に会いました。

'69年式CB750Fourと25歳の私。川内(せんだい)市内で'72年6月。このナナハンは4年間乗って、結婚をしてシビックを買うとき下取りに出した

 


旅の途中にMX見学
千葉県山武郡芝山町境
岩沢良夫(44歳) 会社員
'73年に勤めていた板金屋で6日間の休みをもらい、東北一周ツーリングに行きました。走行距離2400㎞、使用ガソリン105.4l=6425円(平均61円/l)。途中、全日本モトクロスを見学。赤地に白数字(セニア=国際A級)のゼッケン6=ホンダに乗る吉村太一、同11=ヤマハの鈴木忠男が現役時代でした。6日目にGT750の後輪がパンクし、近くのGSで自分で修理をしました。

'73年7月9日。スズキGT750と18歳の私。GT750はカワサキZ2の下取りに出し、Z2はYZ125を買うときの下取りに、そして26歳までYZでモトクロスを楽しんでいました

 


親子三代
東京都葛飾区柴又 鈴木裕司(54歳) 会社員
寅さんでおなじみ、柴又帝釈天近くの高砂通りで実家は鈴木サイクルを営んでいます。父・福太郎('89年没・80歳)が戦後間もなくここで始めた店で、長女、長男、そして私もここ、柴又で生まれ育ちました。現在店は、3歳年長の兄・隆一とその連れ合い、それに私=裕司で自転車を主に営業しています。父が山口自転車の代理店として開業したのがルーツです。最近、隆一の長男・隆之(28歳)が、近くにヤマハをメインにした支店を出し、親子三代でMCを楽しんでいます。

山口オートバイに跨る父。自転車メーカーだった山口は、戦後MC製造に進出。しっかりした物造りの山口ファンだった父は、MCも取り扱い商品に加えた

 

ヤマハを主に扱う店を柴又でやっている隆之の幼少時。跨っているのは、一世を風靡したヤマハミニトレ

 

オートペットと前後して乗っていたのがスーパーカブ。燃料タンクはBSチャンピオンⅢ型のものをつなげたスペシャル。エンジンはクラッチ付きのC110

 


不安だった旅立ち
広島県広島市南区翠
藤田民輝(50歳) 会社員
高校生だった私は春休みを利用して当時、家では大金の2万5000円で買ってもらったスポーツカブC110で、友人の馬場君と2泊3日の四国ツーリングへ行ったのですが、そのときの両親の心配そうな顔を見て一大決心、最後の1年間で集中的に勉強をして大学へ。そして4年間でベンリイCⅢ92→スズキS10→S30→T200と乗り継ぎ、迷わず2輪メーカーへ就職をしました。2輪は私の人生に、少なからぬ影響を与えてくれました。

'65年、徳山へツーリング途中の錦帯橋(山口県岩国)で、C110と17歳の私(右)、そしてCS65+馬場君