青春フォトストーリー
私のアルバムから<30>
別冊モーターサイクリスト
※2000年2月号に掲載された記事の転載です。

初めてのバイクと子供
静岡県小笠郡菊川町西方 成瀬己巳男 (70歳) 農業


未知への旅。徹夜走行。東海道=国道1号線も舗装は所々で砂じんモウモウ、砂利道にスリップして怖い思いをしたこともたびたび。戦友=3Eとは30時間、700㎞の旅。深夜、京都駅食堂の主人や、国道沿いの食堂で知り合ったオトキチさんの親切は忘れられない。食事は豚汁にメシ、帰宅後、サドル下部のフレームの亀裂を溶接した。'58年11月23日午前7時、日の出時の法隆寺・南大門で

最初の自分のオートバイ=ドリーム3E(146㏄)と最初の子供。ともに'53年生まれ。'56年10月に自宅庭で撮影。浜松市板屋町のBM商会で、走行1万700㎞の2年落ちを'55年8月19日に6万8000円で購入。新車価格の約半値。茶畑1枚=5aの値段だった

このオートバイを信用したので2年後、'60年8月の研修会(3泊)にも参加。帰路、スーパーカブ50㏄と併走したが、70~80㎞/hで抜きつ抜かれつだった。'60年8月5日午後2時、比叡山中腹の一本杉で。これから根本中堂・宿院へと向かう。3E以降はドリームSA(250㏄)→CP77(305㏄)と乗り継いだが、長野の山岳地帯でメグロS3?S8の粘り強さに降参し、'60年代中盤からメグロ党になり、Z7(500㏄)→S8→SG→W1→W3を現在は愛用中。ほかにCD250、ドニエプルSC、MT10、'90H/D FLHTC SCを所有し、サウンドとバイブレーション、殿様乗りを楽しんでいます

'58年11月23日午後3時、鈴鹿トンネルで撮影。トンネルに入る乗用車は'58年に発売になったダットサン210(ニイイチマル)型。従来の110(イチイチマル)型は860㏄SV4気筒エンジンを搭載していたが、初めてOHV(1000㏄)になったモデル。このエンジンはその後、ブルーバード310(サンイチマル)型に引き継がれていった。トラックはボンネットタイプが当たり前の時代である

IMCの3カット
栃木県塩谷郡高根沢町大字伏久 鶴見光央(69歳) 水道設備工事業

昭和25('50)年5月、知人=管又氏のおばさんの嫁ぎ先、東京・上野の質屋にIMC K型とライラックKH型が流れ、売ってもらえるというので私は懐に大金(15万円くらいだったと思う)を入れ、喜び勇んで管又氏と東北本線で上野へ向かいました。現物を見たところ2台ともまだ新車でした。ライラックのほうが当時は人気が高かったのですが、シャフトドライブよりチェーンドライブのほうが当時は格好いいと思っていましたし、何よりスタイルの美しいIMCのほうを私は気に入りました。(だから管又氏とけんかをしないで済んだのですが・・・) 帰路は私がIMC、管又氏がライラックに乗って、砂利道の4号線と烏山街道を約120㎞、えっちらおっちら自走してきました。

昭和29年9月、自宅庭で29歳の私。2本マフラーと太いドライブチェーンのIMCは、近所で大評判でした

昭和30年代に入ると、田舎町でもぼちぼちオート3輪を使う商店が出始めました。向かいの肉屋さんが昭和31年ころに中古のマツダCT1200を購入し、朝、市場から豚を仕入れて来るのに使っていましたので、日中はマツダが空いていて、商品のガチャンコ(フロントタイヤ横の手押しポンプ)や工具を運ばせてもらったものです。肉屋さんのマツダは、我が町のオート3輪第1号でした。昭和34年8月
昭和30年代当時、水道屋のかたわら夏はアイスキャンディー屋をやっていました。道路は未舗装、加えてサスペンションも今日の性能にはほど遠く、キャンディーを積んでちょっと急いだりすると商品が壊れてしまって売り物にならないこともあり、私も胃下垂を患い、IMCで走るときはいつもみぞおちの辺りを左手で押さえながら、ゆっくりと走った記憶があります。昭和34年8月、ダットサントラックの下取りに出すIMCと私。このころは体調不十分で表情も少々暗いようです。後方で売り物のアイスキャンディーをかじっているのは当時4歳の長女で、今では二児の母です。今日では道路も舗装され、公営水道も完備されて昭和30年代とは隔世の感がありますが、IMCのような味わい深い単車とは、縁遠い世の中になってしまったようです
後味の悪かった九州
兵庫県小野市樫山町 中井政幸(53歳) 会社員
'60年代中期、給料が2万円弱だったころ、5月の連休を利用して九州一周ツーリングに出かけましたが、所持金7000円ではいかんせん資金不足でほとんど野宿でした。当時はバイクで来たというと珍しがられ、食堂で握り飯を「もって行きなされ」と出されたり、クルマに追突されて5000円もらい、それで怪我の痛みも吹っ飛んでホッとしたり、垂水市内(鹿児島県)で友人のドリームCS71のミッションが入らなくなったのでバイク屋へ行ったら、修理の見積もりが1万5000円前後とのこと、元よりそんな金はないので売却することになったが、足元を見られてかCS71はわずか4000円。仕方ないのでCB93にふたり乗りしての帰路、広島でスピード違反で罰金5000円也。初めての九州旅行は、最後にきて後味が悪かった

大分県高崎山自然動物園前で。メットにKOBEとあるのが私(左)+ベンリイCB93(125㏄)、そしてこの後、鹿児島県で売却することになったドリームCS71(250㏄)と友人

結婚資金つくりに売却
岐阜県高山市昭和町 阪井 稔(47歳) 会社員

英車を手本にしていたW1Sはブレーキペダルが左足、チェンジペダルは右足だったので、慣れるのに少し考えながら乗った時期がありましたが、排気音は一番心に残っています。また、岡崎の姉の家までひとりで名神高速を走って行ったのも、今は懐かしい思い出です。現在は昔からの夢だったショベルヘッドの'82 H・D FLHの白色に乗っていますが、Wはもう1度乗りたい名車です。

昭和46年4月上旬、岡崎市の姉の家から帰路に着く私。W1Sは小島モータースから中古で28万円で購入。3年間乗って、結婚資金にするために売却しました