※この記事はサイクルスポーツ2005年8月号に掲載されたものです。
エミコ復活! 続MTBペアの地球大冒険
旅先のパキスタンで、予想外の病に倒れて頓挫(とんざ)した世界ツーリング。
’02年12月号で一時中断した「エミコの地球大冒険」の続編を、
今月号から3回にわたり連載する。
癌で倒れてから奇跡の回復をとげて再起、
またパキスタンに戻り再出発するまでの闘病生活を中心にお届けする 。
■シール・エミコの軌跡 1965年東京生まれの大阪育ち。JACC(日本アドベンチャーサイクリスト)会員。1989年から、旅先で知り合ったスティーブ・シールとMTBで世界一周に。豪州〜東南アジア〜北中南米〜アフリカ〜欧州〜ロシア〜ユーラシアを横断中、77カ国目のパキスタンで癌の告知を受け2001年1月、緊急帰国。4年間の闘病生活を経て、2004年12月ついに旅再開! 走行距離11万kmを突破。

ゴール前に発病 5年生存率20%の宣告
「お気の毒ですが、ガンです」
「ガンって、癌? 私が癌?(ガガ〜ン!)」
病気が発覚したのは01年1月、自転車で世界一周をはじめて11年目のパキスタンの首都、イスラマバードでだった。
現地の病院では「早く手術をしないと死ぬ」と告知され、病巣の子宮、リンパ節、両骨盤をすっぽり落としてくれるという。死か、一生車イスの生活かの緊急事態発生。大使館に駆け込み助言により帰国した。
救急病院に運ばれ、受診した東京の病院では「長期戦になる」と告げられた。あわてて家族のいる大阪へ。サイクリングウエア、オーストリッチのバッグをかついだまま即、入院。
身の回り品も先週まで使っていたロシアやカザフスタンや中国製のシャンプー、石鹸、タオルにカップ。まだ家にも戻ってないのにな〜。目の前が真っ暗になった。
         *        *
案内されたのは8人部屋。
まるで旅の安宿を思い出させたが「どこから来て、どこ行くの?」といった今までの会話とは異なり、「どこが悪いの? いつ手術?」が患者同士のご挨拶。ここでも共通の仲間に恵まれたってわけだ。
気になる検査結果は、子宮癌。進行性で年齢が若いぶん、広がりも早いという。臨床進行期分類による「b期」で、細胞診は進行度が最も高い「クラス后廖5年生存率が40%と告げられショック。
ところが後日、精密検査で新たに悲惨な結果が。リンパ腺転移と骨盤全体に広がっていたことがわかり、現状はb期。悲しいかな、5年生存率は20%。余命半年だというではないか。再びショックでめまい。
そもそも体の不調を感じ始めたのは、中央アジアのカザフスタンを走っているときだった。「癌」と診断される約4カ月前のこと。
ビザの残り日数が気になり、そのまま中国・天山山脈の雪山を押し進み、シルクロードからタクラマカン砂漠へと縦断。標高4700mのサイクリスト憧れのフンジャラープ峠を経て、77カ国日のパキスタンに入国。そこでダウン……。
何度も襲われた腰の激痛は「ぎっくり腰?」。ノドも焼きつくように腫れたが「砂漠の砂のせいだろう」と思っていた。長引く熱はカゼ、不正出血はホルモンのバランスのくずれ。最後の峠で倒れた時も「高山病だから低地についたら大丈夫!」などと素人解釈で体の赤信号をすべて無視。痛が爆発していたとも知らずに。
幼いころから病院とは無関係で、これが大病の発見を遅らせてしまう最悪の結果となってしまった。

きつ〜い抗癌剤治療 夢はもう一度自転車に!
癌が広がっているとなると、摘出手術は不可能だった。
まずは縮小を計るため、抗癌剤治療からのスタート。睾丸癌を発病したアメリカの自転車選手、ランス・アームストロングの著書にもあるように「瞬きする睫毛さえなくなる」ぐらい抗癌剤の威力は強い。癌細胞だけでなく、細胞という細胞をガンガンやっつけるのだ。
4カ月半、抗癌剤漬けになり副作用で髪は抜け尼さんルック。体重も9kg滅でうれしいやら、いや、癌ダイエットとは悲しいかな……。仲良しになった患者も次々と逝く。「寝たら目覚めないかも」で、死の恐怖からは逃げることができなかった。
痛が勝つか、私が踏ん張りきれるか。闘病生活は戦場だった。
要望があると体調をみはからい、各地に講演会に出かける。旅や病気の話をスライドショーで見せながら「勇気をもって一歩目を踏み出そう!」「夢の実現は決してあきらめちゃいけない」とメッセージを送る。
それは旅より過酷で、旅より孤独で、可能性と希望も薄かった。
次に待ち受けていたのは、運命の二者択一。
簡単に言うと「長く細い人生」か「短いが太い人生」かの選択。「長く細い人生」。つまり再発をできるだけ抑え、生存率を上げるために広範囲の摘出をする方法。合併症がきつく、排出便の機能障害や歩行困難になることも。
もう一方は、再発リスクが高くなるが合併症もいくぶん軽く、『QOL(人生の品質)』を重視。これなら、もう一度自転車に乗れる可能性が出てくる。たとえ短くても、太い人生のほうが自分らしい・・・…。涙が止まらない。あまりにもつらい選択だった。
術後は骨盤に残った癌細胞を叩くために放射線と抗癌剤によるダブル治療が開始されたが、全身倦怠感、下痢、発熱、放射線被爆の痛みといった激しい副作用と合併症で体はみるみる衰弱。トイレにも車イスで行く日々が続いた。
「もうダメ。助けて!」。体力の限界で中断。病院で行なえる治療もここまでとなった。完治して退院するわけではないから、主治医は「おめでとう」とは言わずに、「これからやで!」と肩をたたいた 。

悩むよりサバイバルスローライフで回復
半年半の入院生活後、待ちに待った夫ステイーブとの生活が戻った。
旅中は「どうしたら1日でも長く旅ができるか」考えたものだが、今は「どうしたら1日でも長生きできるか?」試行錯誤。
癌に関する本を読みあさり、代替医療や東洋医学を実践。悩むよりサバイバルを考える。これが旅で得た哲学だった。
したいこと、付き合いたい人、住みたい場所も体に聞く。久しぶりに2人で走り、自転車が体の一部となり、当たり前だったことが今では奇跡。
このすばらしさをシェアしたいという気持ちと、だれもができる経験ではないからこそ、次の世代に伝えていかなくてはならない、というお役目を感じ、呼ばれれば講演会にも出かけた。
また、「死ぬ前に」という焦りで誘われれば、つい出かけてしまう。しかし、今は何をすべきなのかが友人の手紙で分かり、回復することが本当の返事だとすれば、やはり療養第一だと考えた。「元気になることだけを祈ってる」「会いたいけど、そっと見守ってる友達がいるってこと忘れないで」「手紙の返事はいらないからね。」
入院中に入籍。2人で市役所に。うれしいはずなのに、悲しみが隠せない。11年半目の静かな、式もない二人だけの入籍。(2001年2月13日)
たくさんの思いやりに包まれて幸せ者だ、私って。
そして今は、水と空気のおいしい奈良は柳生の田舎で充電中。
「自然に帰る」ことで生命力を高めようと考えたのだ。
こだわってきた食事療法も、自らの手で素材を育てたい。有機農法で野菜作りを始めた。薬草や野草も食卓に取り入れ、『身土不二』(*1)に習い、太陽にそった規則正しい生活をおくる。
築100年の古民家にはムカデやクモも多いけれど、囲炉裏やカマドもあり、炎をみているだけで心は和む。風呂も薪で沸かすから体も芯からポカポカだ。
スローライフで培った生命力は、自然からの恩恵を受け不死鳥のごとく甦り、いや、雑草のごとく生き返ったのであ〜る。

〈注〉*1「身土不二」東京都台東区の「金沢米店」(電話03-3872-8844)が中心となり展開している有機農法、自然食のサークル。「人と土は一体である」「人の命と健康は食べ物で支えられ、食べ物は土が育てる。故に、人の命と健康はその土と共にある。」という考え。http://www.shindofuji.com/

命を活かすために再出発 みんな、ありがとう!
「命を活かしにいこう!」。今『ある命』を活かすため。
あたためてきた思いがようやく実現しようとしていた。
「無理だから」とあきらめるのは簡単だけど、どうしても会いたい人たちがパキスタンにはいた。
再出発は中断した同じ場所に、同じ時期に戻る。緊急帰国して4年後のことだった。
中断前に予定していた残りの1万kmは、3カ月ずつを4回に分け、’07年のゴールを目指す。毎月通院しているので体調を考慮しての計画だった。
出発当初はスポンサーもなしで飛び出したけど、今回はたくさんの夢を積んでいる。多くの人に応援してもらいたい。多数の企業が快く協力してくれた。
そして04年12月20日、パキスタンへと向かった。
この日を迎えることができたのは、大勢の応援があったから。励ましてくれた友達、見守ってくれた家族、そして信頼できる医師といつもそばで笑わせてくれた夫、ステイーブ。
みんなのおかげ。ありがとう。

エミコより!
みなさん、ご心配をおかけしました。一時はどうなるかと思いましたが、ようやく復活です!
旅の途中、思いがけない癌という困難にあいましたが、夢を持つことの大切さを新たに思い知らされました。
生きがいを持ち続けることは、人生を輝かし続けることだったんですね。帰国したときは「旅は中断、欲しかった子供は不可能、自分の命さえ危ない」ことに嘆きましたが、現実を受け入れたとき、癌の克服も冒険の一つだと気づかされました。
たとえ12年をかけ、世界の旅を完遂したとしても知ることのできなかったものが、病気になって見えてきたのです。
癌によって私たちは成長しました。これは人生にとって悲劇ではなく、奇跡という輝きを与えてくれたのでした。
死と背中合わせになって初めて本当の「生きる」が分かったことに感謝します。
次回はついに世界一周の再開! パキスタン編です。どうも、お待たせしました。
夢は「もう一度、自転車に乗ること」。抗癌剤治療中でも元気だったころ。ベッドは癌関係の資料でオフィス状態。「すっかり尼さんになってしまいました〜」
要望があると体調をみはからい、各地に講演会に出る。旅や病気の話をスライドショーで見せながら「勇気をもって一歩目を踏み出そう!」、「夢は決してあきらめちゃいけない」とメッセージを送る
式は挙げず、病院を入院中に入籍。二人で市役所に。嬉しいはずなのに、悲しみが隠せない。11年半目の静かな式もない二人だけの入籍。(2001年2月13日)
さっそく病院に駆けつけてくれたJACCの仲間。自転車で世界一周をした、本誌でおなじみの待井剛さんと坂本達さん
奈良・柳生の里の古民家に住み土いじり。農薬は使わず愛情をたっぷり注ぐ。「地球に穴掘って、種うえて、芽が出て実が結びそれを食べる」生命力がぐんぐん高まり『母なる大地』を実感
旅を再開したパキスタンでの記念写真:体調が悪いときに親身に看病してくれたロヘイル・モゼスさんと。彼とは兄弟同然だ。中断したこの家から4年ぶりに再スタートする
東京〜鹿児島を10日間で1500km走るという『チームLSD』。その大壮行会ライブが2001年8月25日、日比谷野外音楽堂で行われた。激励に駆けつけた私たちだが、癌もふっ飛びそうなほど、キヨシローさん、パワフルやわ〜!
エミコの新しい旅の相棒
『キャノンデール・F400』+キセリヤ 腰への負担が少なく、快適で十分景色が楽しめるツーリングバイク。前後とも機械式ディスクブレーキに交換。ホイールは夫ステイーブのこだわりで『マヴィック・CROSS』を使用。走行計は『キヤットアイ・コードレス7(CC-FR7CL)』。タイヤは路面状況に合わせ『パナレーサー・TIMBUKII』。失敗したのは、マッドガードを付け忘れたこと。
浄水器はインドで重宝でした
気温-20〜35度C、冬のパキスタンから暑李インドに適した通気性と保温性に優れた装備を吟味。トッスパンツ、小物類とも『パールイズミ』。フリース、キャンプ用品は『モンベル』。『シマノ』のMTB用シューズ。
ヘルメットとサングラスは『OGK』。バッグ類、レインカバー『オーストリッチ』。時計は『シチズン』のエコドライブを使用。普通に売っている車体カバーはいざとなったら簡易テントとして使用可。浄水器はインドで重宝した。ガイドブックについては「ダイヤモンド社」の「地球の歩き方」と『ロンリープラネット』(英語版)を使った。
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