※この記事はサイクルスポーツ2005年9月号に掲載されたものです。
エミコ復活! 続MTBペアの地球大冒険
【part2パキスタン編】 4年前にタイムスリップして、自転車の旅を再開。
パキスタンで出会った恩人たちとの交流を重ねていくうちに、
旅人としての現実に戻り、生気が戻ってきた。
これこそ、エミコの生きる時間なのだ。
■シール・エミコの軌跡 1965年東京生まれの大阪育ち。JACC(日本アドベンチャーサイクリスト)会員。1989年から、旅先で知り合ったスティーブ・シールとMTBで世界一周に。豪州〜東南アジア〜北中南米〜アフリカ〜欧州〜ロシア〜ユーラシアを横断中、77カ国目のパキスタンで癌の告知を受け2001年1月、緊急帰国。4年間の闘病生活を経て、2004年12月ついに旅再開! 走行距離11万kmを突破。

今日は奇跡の日ようこそ現実の世界へ
'04年12月19日。空港にJACC(日本アドベンチャーサイクリストスラブ)の仲間をはじめ、友人家族40人ほどが集まってくれた。
駆けつけた新聞記者のインタビューには「今日は奇跡の日です」と意気軒昂。
タイ航空673便は20日午前1時25分に離陸。現地に日中入りたかったので、夜中の出発となった。
カウンターへ行く。パスポートを渡し、荷を預ける。チケットを受け取る。審査を受けて機内に入る。ひとつずつの動作を慎重に確実にこなしていく。
席に座り、静かに瞼を閉じた。
うたた寝からさめるとインドの上空にいた。1カ月後はここを走りながら空を見上げてみよう。
プーケット経由で17時間後、ラホール空港に無事到着した。
シャルワール・カミーズという現地正装に着替えると、とたんに気持ちがフラッシュバックした。闘病生活がウソだったかのように記憶から削除されていく。
「タクシー、タクシー」。客引きに囲まれた。
ふっかけてくるのは当たり前。ここでは値切るのも当然のこと。
交渉成立までに30分が経過した。
やっとホテルに着いた。やれやれ、部屋に入ると「コンコンコン」。次はボーイたちの登場だ。
「いくらでもいいですからチップをください」(来たかー!)
スティーブが10ルピーを差し出すと、「なにコレ? 全然足りませんよ、だんなー」。かなりの不穏。
「ナメてるんすか?」。逆切れ寸前のボーイたちに、ここは安眠料として降伏する方が賢そうだと判断。
いま思えば、あれが手口だったのかと苦笑。
しかし、あのときの私には彼らの執念と図太さに異常なまでの生命力を感じ、癌で体調を壊すより胃に穴が開いてしまいそうな気分だった。狙われるのが一番きらいなんだ。呼吸を乱す私にスティーブが腕を組んで言った。
「ようこそ、現実の世界へ!」
「“マトリックス”?」
「そう。これが現実の世界なんだよ」
そうか。人生は生まれてから死ぬまでの旅というが、苦行さえも楽しみへと変えていく。すべては考え方ひとつなのだ。
翌朝5時15分、明け方の街にアザーン(*1)が鳴り響いた。以前は民謡的に聴いていたアザーンも、病後は意味が不明とて神の導きとして聞こえてくるから不思議だ。
本日は1日かけ、アボッタバードへバスで移動。

*1「アザーン」とは、イスラム教の礼拝(サラート)時刻がきたことを知らせる、肉声の呼びかけ。スピーカーから町中に大きな音で流される。

バッグにJACC旗 奇跡ではなかった!
12月22日、朝から怪しい雲行きで午後から雷とともに豪雨となった。
「標識はないが、間違いないよ」。先頭のスティーブが立ち止まる。
住所も知らないジョセス宅に、かすかな記憶だけでたどり着いた。
ノック、ノック、ノック。
「Who?」。なつかしいフォジィアの声。
「…………」
「泣かないで、エミ」
言葉が出ない。涙だけがあふれる。この日をどれだけ待ち望んだことだろう。
「夢実現」の意気込みをこめ、JACC旗をフロントバッグに貼りつけた。仲間から守られている感じ。
まず向かうは長年思いを抱いた、タキシラのガンダーラ遺跡。
一気に80kmを走破。手術の縫合部に激痛が走った。
翌早朝、遺跡ジョーリアンの高台に上り日の出を迎える。
今日の予定はこれからイスラマバードまでの40km。
道は片側3車線となり交通量は増えたが、広い路肩があるので自転車道をゆく気分。
落ち着いた住宅街にある『日パ旅行社』へと直行した。
4年前、「飛行機代は後でいいから」と緊急帰国の手配をしてくださった督永忠子さんと再会するためだ。
「生きられる命は絶対に生きてほしいと思った」。当時を語る彼女の言葉に感泣した。
アボッタバードに戻りジョゼス一家とクリスマスを過ごした後、北部ギルギットに住むもう一家族に再会するため翌朝5時、私たちは空港で飛ぶかどうかわからない飛行機を待つことにした。
吹雪のため、すでに2週間の欠航をだしている。
「本日のフライトは決行」。ボードにうつし出されたとき私たちはアラーの神の存在を信じずにはいられなかった。
1時間半でノーザン・エリアの首都ギルギットに到着。次は定員11人のところに15人詰めこんだワゴンバスに3時間揺られ、桃源郷カリマバードへと向かう。
以前、泊まっていた宿のオーナー、通称「カツシン」。慕っていた「ジー」オヤジ、「ジー」の下で働いてた「めだかちゃん、土産物屋のモハマドさんとも再会でき、私の延命はアラーの思し召しだと喜んでくれた。
カラコルム山脈7000m峰の山々に守られた人々の、やさしい心も変わってないね。めだかちゃん、また来ます。
カラコルム ハイウェイを下る
癌の症状が悪化し、命の危機にあったカラコルムハイウェイをクルマで下っていく。
崖下はフンザ川。雪解けの渓流がインダス川へと勢いよく流れていく姿が私には、心臓に流れ込む血液に見えた。
ギルギットに住んでいる、血はつながってないが心がつながったフセイン一家を訪ねる。突然の訪問をみんなが喜んでくれた。
明けて1月9日、イスラマバードを南下した。
ある日、二輪の青年が私たちの姿を見てUターンしてきた。平井賢に似た男前。
チャイを誘ってくれたが先を急ぐので断る。しかし自宅に強制移動。強く出られるとノーと言えない私たちだ。おやつ、ランチ、またチャイ。「頼むから泊まっていってくれ」と家族総出だ。旅人を尊ぶイスラム。でも過ぎないかい?
高い塀、頑丈すぎる鉄扉。身の危険は感じないが、何か危ない匂い。
夜、父親が私たちを呼びだした。
「君らの力が必要なんだ。日本から独身女性を2人連れてきてくれんか?」
どうやら息子と結婚させて、この国を脱出したいという。
それって拉致? 工作員?
さて、ラホールまで残り70km。グジュラーンワーラで嘔吐と下痢と高熱でダウン。町にあふれかえるオートリキシャー、二輪、そして人、人、人。混雑と雑音の中をトラックや乗用車が猛スピードでかっ飛ぶ。地獄だ〜。宿の一室も暗く湿り、やはり地獄。体がどんどん衰退していった。
「(旅の出発が)早すぎたんじゃないか?」。夫は心細げ。
3日間寝込んだ。ここにいると気分的に悪化気配。
普段に輪をかけてのスローペースでラホールを目指す。着いたのは夜。
投宿したホテルは、湯蛇口からは水。テレビは砂嵐。
ホテルでは体力と精神力とデジカメバッテリーを充電。
もう一日休養したいとこだが「あさってから3日間、ラマダーン(聖なる断食)明けの祭り『イードル・フィトル』が始まりますよ」と受付係が教えてくれた。
そして「どこの飲食店も土産屋も銀行も休みです。おそらく国境も」とつけ加えた。
明日のインド入りを決定。
国境ワガへ向かうと、危うし!? 閉鎖の10分前でギリギリのセーフだった。
1月20日付けのパキスタン出国を押印された。日本を出発しちょうど1カ月だった。
世界一周の無事再開、そして恩人との再会。「W再開」に夢は果たされた。この4年の出来事に何ひとつムダはなかったことに確信できた。人生で大切なのは、走り続けるということ。
次回はインド。お楽しみに!
正式名称はパキスタンイスラム共和国 パキスタンでデジカメを使う
人口は日本より1割多い約1億3千万人。97%がイスラム教徒。面積は日本の2.2倍あり、北部の冬は雪で閉ざされ、南部の夏季は酷暑でモンスーンの影響もあるので旅する時期は選びたい。
ウルドゥー語が国語。旅するぶんには英語だけで問題ないが、現地語をいくつか覚えておくと交流も深まって楽しい。治安は政治的・宗教的なテロ問題が起こるので情報には敏感になる必要性がある。でもパキスタンは私たちにとって特別な愛情の深さを感じる国。
ほとんどのホテルの部屋にはコンセントがあるので充電が可能。パソコンを持参すれば作業は早いが、私たちはカードリーダーを使い「iPod」に写真を保管していった。メモリを必要分持って行くのも手だが高くついてしまう。撮ったものがその場で見られ、納得ゆくまで撮り直せるのが大きな利点。国際用の変換プラグを忘れずに!
気軽に写真撮影できるのが自転車旅のいいところ。ただ、集落に立ち寄るとこの様子。「スティ〜ブ、早く帰ってきてくれ〜い!」。次々質問が飛び交う
明け方の街にアザーンが鳴り響く。意味が分からなくとも、“神の導き”に聞こえてくるから不思議だ
「生きられる命は、絶対に生きてほしいと思った」。当時を語る『日パ旅行社』の督永忠子さんと。イスラマバードで感激の再会
「キミのいる風景を長年みてきた。旅先で知り合ってもう16年になる。いまだに夢の途中……」
アジアやアフリカでは女性の姿が目立っつたが、イスラム社会では市場は男の仕事。新鮮野菜が山積だった
地球には、まだこんなすばらしい風景がある。標高7000m峰の山々に囲まれた杏の里、カリマバード。まさに桃源郷だった
数字しか分からないよ〜。とりあえず15卆茲妊船礇さ抃討
昼食は野菜カレーに人参、大根、玉葱のサラダ。小麦粉を原料とした主食のチャパティは焼きたてが最高にうまい。それからこれは? 先にも後にもカレー漬物!! 自転車屋に入ると、帰宅途中の小学生たちが集まってきた。外国人を初めて見るという子もおり、私たちがどの星からきたのかという表情の子も パキスタン名物、デコトラ(デコレーション・トラック)。日本のより派手! 鎖をジャラジャラならして走る姿は勇ましく、ここまでくるとアートだと私は思う
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