※この記事はサイクルスポーツ2005年10月号に掲載されたものです。
エミコ復活! 続MTBペアの地球大冒険
【part3パキスタン編】 訪問国78ヶ国目にして、ようやくインドにたどり着いた。
インドには、たくさんの旅仲間が訪れており、「大好き」か「大嫌い」かの両極端。
何度も足を運ぶ友人もおり、「どこに惹かれるの?」、「他の国とどう違うの?」が、長年の疑問だった。
待ちに待ったインドだからこそ心をドライ・スポンジのようにし、ありのままを吸収してみたいと思う。
■シール・エミコの軌跡 1965年東京生まれの大阪育ち。JACC(日本アドベンチャーサイクリスト)会員。1989年から、旅先で知り合ったスティーブ・シールとMTBで世界一周に。豪州〜東南アジア〜北中南米〜アフリカ〜欧州〜ロシア〜ユーラシアを横断中、77カ国目のパキスタンで癌の告知を受け2001年1月、緊急帰国。4年間の闘病生活を経て、2004年12月ついに旅再開! 走行距離11万kmを突破。

まさか、癌再発? インドで落ち込む
入国カードを記入し、自転車ごと(!)X線に通したら、「はいよ、OK〜」。
厳粛なパキスタンの後では拍子抜けした。
200人近い民衆が押し寄せ、テロ?紛争?一瞬慌てたが国境閉会式の見学だとわかり安心。
威嚇しあう観兵に興奮する観客たち。声援や唸り声も飛びまるでサッカー観戦のようだ。
インドのはじめての町は人口約100万人のアムリトサル。スィク教徒の聖地で、教徒の数は国全体の約2%にしかすぎないがカースト制度を否定し、ビジネス面で活躍していた。
黄金寺院の巡礼宿に留まった私たちは、信者と共にアムリタ・サラス(不死の池)の白大理石の回廊を参拝させてもらい、神聖な旅の一ページをいただいた。
中断したパキスタンのアボッタバードから走ること522km。今回のゴール、タージ・マハルまでは残り600km弱だが、たどり着くだけが目的ではない。何事も楽しまなくては意味がないのだ。広大無辺を満喫するため1400kmの大回りを覚悟で砂漠の国、ラジャスターンへと向かった。道は整備され、トラックやトラクターにまぎれラクダも大切な交通手段となっている。
しょっぱな122kmを快走するが翌日は発熱、頭痛、腹部に激痛をおこしダウンしてしまう。
「まさか、癌再発?」。だが『心配は猫をも殺す』という。余計なエネルギーの放出は今は避けるべし。
8日ぶりに路上の旅人となり、4日かかって砂漠のオアシス、ビカネールにたどり着いた。しかし、今度は下痢と脱水症状で寝込む。
ゆうことを聞いてくれないに体に苛立ちと不安がつのった。
「生かしにではなく、命を縮めにきたのでは?」
旅の意味も失い、人に会うのも疲れた。なんせ、どこもかしこも人間だらけ。人口約10億6千万人と統計が出ているが、近い将来は中国を抜き世界一になると言われている。
車の排気ガスにクラクションの嵐、牛を避ける私たちを子供らが追い、止まろうものなら野次馬、物乞いにとり囲まれる。ツーリングというよりは必死に逃げてますー!って感じだったのだ。
私は部屋に引きこもった。
ヒマだと思われたかして、宿のオーナーが親族結婚式に招待してくれた。
「(スティーブに)高価なカメラを持ってるねえ。カメラマンを務めてもらえないかなあ?」。これが本望らしい。
転機がおこった。ネット屋である青年と出会い、彼のあまりにものナイーブさに人間が基本的に優しい生き物なんだって事を思い出させてもらえた。それからインドを受け入れられるようになり、前向きになれた。
岩山の上にある荘厳なマハラジャの砦に感激
「ギブミー・ルピー!」
再び走り出した私たちに沿道からの声がかかる。昨日までの私なら滅入ってただろうが、自分が変われば、すべては変わるのだ。今日は笑顔で手を振る自分がいた。
途中、スリーカニーマターというネズミ寺院に寄る。餌付けで丸々肥えたネズミたちは村人の蘇生と信じられていた。その数約2万匹!
寺の外では飢えた物乞いが喜捨を求める。なんとも複雑な光景だな〜。
民家が減った分、動物の姿が増え牛科のガゼル、キツネ、リス、ハリモグラやクジャクと遭遇し嬉しい気分に浸る。おっ、顔が鹿で胴体が牛のブルーカウを発見!
国民の8割以上が宗教的理由により肉類を食べないから、捕獲の恐怖を覚えない動物たちの反応は鈍く、微笑ましかった。
ジョードプルから130km手前のナガウーで一泊した。
会ったツアー客が「えっ、動物なんかいたの?」と驚嘆。自転車なら見えたのにね。
翌日は朝からキツイ向かい風に見舞われ、「こんな日もあるさっ」と踏ん張るが時速は10kmが限界。そこへ荷車つきトラクターが現れる。
「よし、もらった!」。主人の合図で後方にピタリ。スリップストリーム(=車の後ろにできる乱流)を利用し、時速23km。快走だった。
「今夜中にジョードプルに着く」という男たちに、「旅は道連れ」と誘われた。
なんとか夜中前にはメヘラーンガル・フォートのあるジョードプルたどり着く。
古い城壁をくぐり旧市街へ入ると、闇の天空に光を浴びた巨大なメヘラーンガル・フォートが現れた。岩山の上に築かれた古代インドの大王マハラジャの砦だ。
「おお・・・」。言葉を失うというのはこういうことか。
バックパッカーが利用しやすい安宿"ハーヴェリー・ゲストハウス"の屋上からの眺めはあまりにも壮観で、2泊の予定を一週間に延長。
私にとって世界で一番魅了された風景だった。生きて来れたことに心から感謝した。

2000kmを走破してタージ・マハールに到着
町を出れば、庶民一色。観光客は自分たちだけになった。
「この先40kmは泊まるところがないよ。うちは食堂と宿もしているから」と声をかけられ、グッド・タイミングと思いきや、後でひどい目にあってしまう。
翌朝になり、出た〜、非法請求〜!主人はバクハツした。 「神はいるのか?」と悩みながらヒンドゥー教徒の聖地、プシュカルに立ち寄る。
各地からの巡礼者にまぎれ、長期旅行者も目立った。
ヒッピーに正装のユダヤ教徒、最近では日本人より韓国の若者、ドイツ人よりイスラエル人の方が多いと聞く。女性ツーリストがひとりで夜間をうろつく姿を見、ある意味では旅がしやすい国だと感じた。
         *        *
3月に入り、ラジャスターンの州都ジャイプルに到着した。ゴールまではあと二歩ぐらいか。
とりあえず、レストランが好評の『エバー・グリーン・ゲストハウス』で美味しい充電をはかった。
ほかの旅行者と会話が弾む。旅や生活、仕事や恋の悩みまで、会話は生きた本を読んでるようで吸収するものが多かった。
広がった視野や心はそれ以上小さくなることはない。
めきめき上がる気温は体温を超え、エネルギーの消耗も激しくなってきた。 ゴールまで後3日だが、暑さバテ(寝坊です)が原因で距離がのびず、57km先のドサ村でさっさと切り上げることに。
主人の活が入った。翌朝は日の出時刻にアラームをセット。 残り2日。途中、沿道の子供らに悪ふざけをされる一面もあったが、130km黙々と前進。
しかしその夜、異変が起きた。長蛇の列をみせるトラック。農民抗議で道路封鎖が起きたというではないか。ゴールを目前にまたもや中断?心配したが夜中、無事解除。安眠に入る。
さて、最終日は残り80km。気合と緊張が高ぶった。 町の規模が大きくなるにつれ人々の相も険しくなる。
ゴールまで30km、20km、10km、カウントダウンに入る。
あと6km、5、4、3・・「見えたー!」。夢にまで見たタージ・マハルが、見えた!
あきらめずに来れたのは、たくさんの応援につつまれたから。夢と希望があったからこそ。
みなさん、ありがとう。
サンキュー、スティーブ!
そして自分の体に「ようやったね!」と深謝。
捨てる神あれば、拾う神あったインド。
結局、何もないようで全てがそこにあった気がする自分探しのような旅だった。
「インドは鏡」と主人は言った。そこにうつっているのは自分自身だと。

2000kmの旅が終わったが、本当の世界一周のゴールはまだ遠い。
あきらめず、努力しつづければきっと夢は叶うと信じている。
予定はあと2年。またいつか、本誌でお会いしましょう。

砂漠地帯ではラクダも大切な交通手段。時にはレンガを、時には木材や人も運ぶ。優雅に歩く姿に、前世は王ではなったのだろうかとさえ思ってしまう。「すみません、お先に〜!」
今回のゴールはヤムナー川に面した巨大なドーム形建物、タージ・マハル。17世紀に建設され日光と影、植物と水、光と闇をあらわしたとされる。中にはムガル帝国皇帝と妃が埋葬されている
ジャスワン・タダの岩山からメヘラーンガル・フォートを眺める。ここが地球であることを一瞬、忘れてしまった。ジョードプルにて。(※ジャスワン・タダ=1899年に建設されたマハーラージャ、ジャスワン・スィン2世の墓廟)
できるだけ交通量と人の少ない裏道を選んだ。が、地図を確認しているところへ子供らが駆けより、女性たちが集まり、通ったバイクが戻ってきた。インドでは孤独を感じることは不可能だった。ほんの5分ほどの出来事
「ワンペン、ワンペン!」。ペンをくれと駆けてくる子ら。名づけて「ワンペン」小僧たち。もし、私もここで生まれたら同じように追っていただろう。憎めないや。この子らにとってはただのゲームでもあるのだから
インド神話で象の頭をもつガネーシャは、ヒンドゥー教の神、シヴァとパールバティーの息子。あたたかい性格をもち、人々からはとても親しまれている。店や家に祀られることが多い
「学校にいってきま〜す!」。町の朝の風景。ところでリキシャーに何人乗ってるの?
結婚式で初めて顔を合わす新郎新婦。インドの結婚式はカーストにあわせた見合い婚が大半。宿命的な人生は決して不幸ではなく、多くの喜びで包まれていた。式は4日間も続けられた インド北東部、アムリトサルの黄金寺院はスィク教徒の聖地だ。信者にとってここを訪れるのは一生の夢でもある。巡礼は毎夜遅くまでつづいた。人々の祈りは尽きることがなかった 1947年、パキスタンがインドから分離独立して以来、2枚の扉で堅く閉ざされてしまった。通行人の殆どは外国人旅行者。私たちにとっては78ヶ所目の国境だった

タール砂漠を自転車で走る!
全長800km、幅490kmの大インド砂漠。タールとは「砂の荒地」の意。
11〜2月の乾季がベストシーズンで、5〜6月は気温が50度をこえるので避けたい。
10億5千万人のインドだが、砂漠地帯の人口は(これでも!)少なく、国道は整地され走りやすかった。
自転車はインド製が主流なので、必要ならスペアパーツは持参した方が無難。タイヤはオンロード用で十分だろう。
食事については、沿道に簡易食堂があるので心配はなし。ミネラルウォーターは町以外での入手が困難だったがチャイや炭酸飲料が飲めるので糖分補給にも最適。
また、交通手段を利用し一部を自転車で走るというのも可能だ。より地球に近づける分、バスや列車移動とは違った詳細体験が感じられるだろう。
周りは砂丘と潅木の世界。ラクダと競争しながら夜は満天の星を眺めるのも乙なもの。
最後に一言。旅を楽しむコツは、「荷は軽く、パワーをプラスに使う」。これだけだ。生きてるうちに、もっともっと地球を楽しんでほしい。
リサイクルが当然の砂漠地帯ではオイル容器が水入れに! 水は塩分濃度が高く、飲めたものではなかったが、近年では深さ50mの井戸がつぎつぎ枯渇し、タール砂漠の水問題が深刻になってきた
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