青春フォトストーリー
私のアルバムから<20>
別冊モーターサイクリスト
※1999年4月号に掲載された記事の転載です。

トンネル開通
新潟県中蒲原郡小須戸町 野崎佐武郎 (71歳) 無職

 昭和21年、毎日のようにスパナで頭を殴られ、涙と鼻水をすすりながら日暮里(東京・荒川区)の運送会社で自動車の修理を覚え、故郷の駅前で自転車とバイクの修理・販売店を始めたのは昭和30年。 当時は関東と越後(新潟県)は三国山脈を越える道路がなく、現金を腹巻きに入れ、東京で仕入れたオートバイを高崎→碓氷峠→長野→飯山→新潟と、延々12時間近くかけて東京から陸送しているころ、越後平野の米作農家にオート3輪のブームが起こり、前後するかのように三国山脈にトンネルが完成。
 以降は三国トンネルを利用してキャブトン、トーハツ、陸王、メグロ、くろがねなど、全部で30数台のMCを運んだことをなつかしく思い出します。昭和60年10月に関越高速道ができて、昔では考えられなかったようなスピードで、派手に塗られたバイクが疾走しています。

 


昭和32年、開通間もない三国トンネルの前で、キャブトンを陸送中の私(左) 首に巻いたタオルと帽子は、ほこりよけの必需品。東京から陸送してきた新車は、すでにほこりで汚れている

 




フレームに石をかまし、後輪を外してチューブを取り出し、パッチを当てて陸送中のキャブトンのパンク修理をしているところ。当時、パンクは日常茶飯事だった
東京から私が陸送・販売したバイクのお客さんたちとの1泊遠乗り会。左からJETスクーター、メグロ、ヘルス、陸王250、キャブトン、トーハツ、キャブトン

昭和29年ころの野崎自転車店店頭に立つ私(右、つなぎ姿) バイクはポインターのサイドバルブ142cc、前進2段のハンドチェンジ車

原付でも大排気量だった
北海道雨竜郡沼田町
行武貴彦
(34歳)会社員

叔父のベンリイ125は当時、近所では大きいバイクとして有名だったそうです。祖母(写真)はこのバイクの後部座席に乗り、よく買い物や用足しに出かけたそうです。

昭和40年8月、ベンリイと2歳の私と祖母。盆に母が里帰りをしたとき、北海道深川市多度志町の祖母の家の前で撮影したものです